Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

鈴木敏夫プロデューサーの展覧会「言葉の魔法展」のポスターの背景にある名古屋駅前の「カブトビール」の看板・半田赤レンガ建物

前回ブログの続きです。
前回は、「戦前の名古屋や各務原を中心とする東海地方は零戦など戦闘機生産のメッカ・現在は航空宇宙産業のメッカ・多くの航空・宇宙博物館」

<カブトビール>
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの展覧会「言葉の魔法展」のポスターの背景は戦前の名古屋駅前ですが、よく見ると「カブトビール」の看板が見えます。
「カブトビール」はかつて、愛知県半田市にあった丸三麦酒(株)及びその後継会社が製造していたビールの銘柄です。
戦前には愛知県にもビール会社があったのです。東海地方ではシェアナンバーワンでした。

 日本のビール黎明期に、大手4大ビールメーカー(サッポロ(札幌ビール)、アサヒ(大阪麦酒)、キリン(麒麟麦酒)、エビス(日本麦酒))へ果敢に挑戦したのです。
エビスはサッポロに統合し、ブランド名に残っています。
サッポロ本社があり、恵比須ガーデンプレイスのある場所はかつては、エビス(日本麦酒)の工場があり、そこへの輸送用の貨物駅を恵比須駅として開業し、その後、町名も恵比須になりました。
キリンは三菱グループです。
 カブトビール Wikipedia
復刻版のカブトビール

<丸三麦酒>
1887年(明治20年)に、半田の中埜(なかの)酢店の4代目中埜又左衛門と、その甥であり、後に敷島製パンの創業者となる盛田善平が、丸三麦酒醸造所を設立し、「丸三ビール」として販売されたのが、半田でのビール製造の始まりです。
これが後の「加武登麦酒」カブトビールです。

<敷島製パン>
敷島製パンは名古屋に本社があり、パン業界2位です。「Pasco(パスコ)」ブランド
独立前に勤務した名古屋の青島設計で東京の多摩工場の設計のサブ担当となり、工場を調査、見学させてもらったことがあります。
3位のフジパンも名古屋に本社があります。
1位は山崎製パン。世界2位の会社でもあります。
 
<ミツカン・MIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアム)>
中野又左衛門は、ミツカングループの創業家・経営者である中野又左衛門家の当主が受け継ぐ名です。
半田市の、酢で有名なミツカンの企業博物館である、MIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアムMIM(ミム)には行きたいと思っていますが、その前身である、博物館「酢の里」には行ったことがあります。試飲もしました。
この地域でさかんな日本酒の製造後に残る酒粕を用いて酢を作り、米を用いた酢より安価であったため江戸庶民に寿司が普及する要因となりました。
  
<中埜酒造・ 國盛酒の文化館・旧中埜家住宅>  
清酒「国盛」を展開している中埜酒造はかつてはミツカングループでした。
この会社が運営する、半田にある、酒蔵を利用した企業博物館「國盛酒の文化館」も見学したことがあります。試飲もしました。

旧中埜家住宅は国の重要文化財です。ハーフティンバー(木骨を化粧として壁面に現わす)様式の洋館で、中埜半六の別邸です。
夏目漱石の義弟で建築家鈴木禎次(ていじ)が設計しました。

鈴木禎次は私の母校、名古屋工業大学の教授であり、東海地方で多くの建築を設計し、名古屋を作った建築家と呼ばれます。
岡崎では、旧岡崎銀行本店(現・岡崎信用金庫資料館)を設計しています。国の登録有形文化財です。
見学したことがあります。
  
<盛田株式会社>
4代目中埜又左衛門は、盛田家(分家)から中埜家に養子に行った人です。
盛田家は、本社が名古屋にある、盛田株式会社につながっています。
創業地が常滑市の酒類・醤油・調味料・味噌を製造する醸造会社です。
自社ブランドとして清酒「ねのひ」、味噌醤油、調味料商標の「盛田」を展開しています。
盛田家は、ソニー創業者の盛田昭夫の実家です。

<半田の蔵めぐり>
半田には何度も行ってます。
近くの「暮らせる蔵/阿久比」を設計した時に、蔵イメージの参考として、運河沿いに並ぶミツカンの蔵群や、國盛酒の文化館の蔵や、紺屋街道の蔵などの半田の町の蔵めぐりをしたことがあります。
過去ブログ
半田 運河と蔵の街
 
<丸三麦酒の歴史・その後>
1898年に、愛知県半田市榎下町に、のちに半田赤レンガ建物として整備される工場を新築します。
1900年に、パリ万国博覧会で金牌を受賞します。
以降、日本第一麦酒株式会社、次いで、加富登麦酒株式会社に社名変更します。
1922年に、帝国鉱泉株式会社日本製壜株式会社を併合して日本麦酒鉱泉株式会社に改称します。
ユニオンビールと三ツ矢サイダーを製造販売
1933年には大日本麦酒株式会社と合併しました。
1943年に、国策として工場は閉鎖され、ビール工場としての、歴史に幕を下ろします。
大日本麦酒株式会社は、戦後1949年、財閥解体により、サッポロビール株式会社アサヒビール株式会社に分離しました。 
 
1944年に、中島飛行機製作所の衣糧倉庫となり、空襲を受け、機銃掃射で被弾しますが、倒壊は免れました。
中島飛行機製作所については過去ブログ
戦前の飛行機技術が戦後の自動車技術に継承 多くの自動車・バイクメーカーが誕生

<半田赤レンガ建物>
現在、半田赤レンガ建物は国の登録有形文化財に指定され、公開されています。経済産業省の近代化産業遺産に指定。

明治時代に建てられたレンガ建造物としては日本で五本の指に入る規模を誇りました。
ビール工場の遺構は現存数が極めて少ないため、その意味でも貴重な建造物です。
実施設計を明治三巨匠の建築家の妻木頼黄 (つまきよりなか)がしています。
横浜の赤レンガ倉庫や日本橋の装飾部も設計しています。
妻木頼黄は、私の母の出身地であり、子供の頃住んでいた、岐阜県土岐市妻木町(つまぎちょう)の有力武士の妻木氏の末裔です。
2020年の大河ドラマの主役の明智光秀の妻正室の妻木煕子(つまき ひろこ)が、妻木氏の出身です。
その娘は、美人で非業の死を遂げる、キリシタンの細川ガラシャ(玉)。
過去ブログ
明智光秀の正室・妻木煕子 東濃地方の妻木城(土岐市妻木町)を居城とする妻木氏(明智光秀の与力)・子孫に近代建築家の妻木頼黄
   
半田赤レンガ建物 公式
半田赤レンガ建物 – Wikipedia

<半田まつり>
半田には蔵が多いですが、山車の数が多いので、山車蔵も多いです。
最近書いたブログです。
半田の亀崎潮干祭(しおひまつり)の山車行事 がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」登録・愛知県・東海地方・中部地方の山車祭り・知立まつり、半田まつり、犬山祭、津島天王祭、須成祭、高山祭 他