NHK朝ドラマ「半分、青い。」 架空の東美濃市ふくろう商店街のロケ地 恵那市岩村町・岩村城跡(日本三大山城)
前回ブログの続きです。
前回は、「NHK朝ドラの「半分、青い。」 架空の東美濃市ふくろう商店街のロケ地 恵那市岩村町・古い町並みとドラマふくろう商店街の相違」
岩村町の隣町の明智町(旧恵那郡明智町)は、日本大正村として、有名ですが、岩村町も、女城主の城で、日本三大山城の岩村城跡として有名です。
本丸が諸藩の居城中、最も高い海抜717mに位置していました。付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城。
昨年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、女城主が注目されていますが、岩村城にもいたのです。
天守などの建物はなく、石垣などが残ります。
江戸時代には岩村藩の藩庁でした。岐阜県指定史跡。
鎌倉時代に、源頼朝の重臣加藤景廉の長男遠山景朝が築き、その子孫の岩村遠山氏が戦国時代に至るまでこの地を治めました。
この城は、重要な位置にあり、武田軍と織田軍が攻防を繰り返しました。
遠山氏最後の城主・遠山景任が亡くなると、信長は五男で幼少の坊丸(織田勝長)を遠山氏の養子としました。
後見は、信長の叔母にあたる女性(通称おつやの方)で、幼少の養子に代わって女城主となりました。
その後、武田軍の家臣・秋山虎繁はおつやの方を説得し妻に迎え、落城します。
信長は、武田勢が弱体化した期に乗じ、岩村城を奪還し、虎繁とおつやの方などを処刑します。
関ヶ原の戦い後、大給松平氏の松平家乗(大給松平家第5代・松平真乗の長男)が城主となります。
その後、幾たびか城主が変わり、江戸時代中期1702年には再び、大給松平氏の居城となり、明治維新を迎え、廃城令により、1873年(明治6年)城は解体され石垣のみとなりました。
大給松平氏は、岡崎北部の奥殿陣屋にある地、奥殿藩の藩主です。陣屋とは、藩の政治を行うところです。
奥殿陣屋には、先月、梅を見に行きました。
過去ブログ。
岡崎・奥殿陣屋の梅がきれいに咲いています
家康の先祖である、松平家四代の親忠の次男・乗元を祖とする松平氏の庶流です。
大給(おぎゅう 現在の愛知県豊田市南東部)を領したことから大給松平家と称します。
藩主邸跡には、岩村歴史資料館があります。
次回に続く。
「明智光秀が2020年のNHK大河ドラマ有力 岐阜県東濃地方出身の戦国武将」