NHK朝ドラマの「半分、青い。」 恋愛ドラマヒットメーカーの脚本家・北川 悦吏子さんとドラマ内容との関係
前回ブログの続きです。
NHK朝ドラマの「半分、青い。」の脚本を書いた、北川 悦吏子さんは、1961年12月24日 (56歳) 美濃加茂市出身で、亡き母の故郷が恵那市。
そんなこともあり、恵那市岩村町の商店街が、東濃地方の架空の東美濃市ふくろう商店街のロケ地として、選ばれたようです。
美濃加茂市は、中濃地方と呼ぶ地域で、ドラマの舞台である東濃地方の隣です。
東濃は、一般的には、西から並べると、多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市の5市をいいます。
東濃観光情報サイトでは前述の5市。以下の図。南・西は愛知県、東は長野県に接し、旧中山道が通っています。
JR中央線、中央高速道路、国道19号線が東西に各市を横断している地域です。
多治見市と土岐市の北にある中濃である、可児市と可児郡御嵩町も含むことがあります。
御嵩町に東濃高校と東濃実業高校があり、このあたりは、地元の人でもわかりにくいです。
前回ブログで書いた、車の東美濃ナンバー推進には、可児市と可児郡御嵩町も参加しています。
土岐市は私の生まれ故郷で、同じ市内を下石町で生まれ→駄知町→妻木町と引っ越しながら、高校2年生まですごし、3年生の時に、今も実家のある多治見市に引っ越しました。
高校時代は、ブッチャー(ドラマのヒロインの同級生)と同じ、バドミントン部でした。
律とブッチャーがバドミントンで遊んでいるシーンがでてきました。
その後、県立多治見北高校を卒業。
実家から、名古屋工業大学に通って、卒業し、1年間は実家から名古屋本社の青島設計に通いましたが、2年目に名古屋の新栄近くで一人暮らしを始めました。
3年目に東京事務所転勤となり、7年間、東京勤務。
当初は大田区南馬込に一人暮らしし、その後、結婚して葛飾区柴又に住みました。
映画「男はつらいよ」の寅さんと柴又帝釈天とその参道が楽しい町です。
その後、名古屋本社に転勤となり、妻の故郷である岡崎へ。
2年半たったところで、会社を辞め、夫婦で岡崎の現在地で、2002年にKAN建築設計として独立しました。
2008年にKANO空感設計に改称しています。
なので、東濃地方に住んでいたのは、23才までですので、歳をとって、今や、自分の人生の半分以下の年数となってしまいました。
でも、大事なふるさとです。
可児郡御嵩町は父の出身地で、土岐市妻木町は母の出身地です。
北川 悦吏子さんは、 岐阜県立加茂高等学校卒業後、早稲田大学を卒業し、入社した広告代理店を半年でやめ、にっかつ撮影所に入社。
勤務しながら、脚本の勉強をした努力の人です。
世にも奇妙な物語シリーズで注目されました。
その後、1992年の「素顔のままで」や1993年の「あすなろ白書」、「愛していると言ってくれ」、「ロングバケーション」、「ビューティフルライフ」など連続して恋愛ドラマがヒットし、恋愛ドラマのヒットメーカーとなります。
当時、いくつかの恋愛ドラマを見ていました。この人の脚本だったんだ!
今回のドラマ内容と本人とが似ているので、驚きました。
ヒロインの母と同じく、腎臓が悪いこと。
ご本人は子供を産めないと告知されたが、その後、子供を授かりました。
ドラマでは、出産するかどうか、葛藤の様子が描かれています。
ヒロインと同じく、左耳が突然聞こえなくなったこと。
このことが、ドラマのタイトルと関係しています。
以前、難聴の方の家を設計したことがあります。1軒は新築、1軒はリフォームです。
筆談を交えながらの設計打ち合わせをしました。
今後も何か、ご本人とドラマの内容に、共通点があるような気がします。
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「半分、青い。」北川悦吏子氏の朝ドラ初脚本 斬新かつ実は王道 家族愛丹念に ホームドラマの復権