Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

アイカ工業(株)の歴史 戦闘機製造の愛知時計電機(株)から分離設立・戦前の名古屋・岐阜の航空機産業

前回ブログの続きです。
地震に耐えるモイスTM耐力面材モイスNT内装用のモイスシリーズを製造する、アイカ工業(株)はメラミン樹脂板などの化学系建材のトップメーカーです。
会社名は愛知の「アイ」で化学の「カ」で、名古屋が本社です。
もとは、1893年創業から、現在まで続く歴史の古い、愛知時計電機(株)の化学部門で、1936年に愛知化学工業(株)として設立されました。 その後、1966年に現在の社名のアイカ工業(株)になりました。

愛知時計電機(株)は、創業時は、時計メーカーでしたが、戦中は、戦闘飛行機を作っていました。
現在は、ガス・水道関連機器など、精密機器分野での製造を主要業務とする会社です。
1939年時点で名古屋で、最大クラスの社員数の大会社でした。
航空部門を1943年に分離し、愛知航空機(株)として設立されました。
両社は航空機機体5,399機、航空機用発動機(エンジン)3,365台を生産しました。
両社が製造した機体のプラモデル模型 
主要生産機
  九九式艦上爆撃機 昭和14年
  艦上爆撃機「彗星」 昭和18年
  艦上攻撃機「流星」 昭和20年
  零式水上偵察機  昭和15年
  水上偵察機「瑞雲」 昭和18年
  特殊攻撃機「晴嵐」 昭和18年 
  夜間戦闘機「電光」 昭和19年 試作段階

愛知航空機(株)は戦後、いくたびかの変遷を経て、愛知機械工業(株)に社名変更し、終戦直後からは、オート三輪や軽自動車生産をしていました。
現在では、日産自動車の機能子会社となり、エンジン・マニュアルトランスミッションなど自動車部品・産業用部品を中心としたメーカーとなっています。

戦前の名古屋・岐阜は国内有数の航空機生産地でした。
三菱重工業名古屋発動機製作所は、国内最大の航空機のエンジン工場でした。
現在のナゴヤドーム周辺には広大な大幸工場がありました。
港区には大江工場がありました。
三菱の2工場で、航空機機体18,000機、航空機用発動機(エンジン)50,000台
国内生産量の30~40%を占めていました。
宮崎駿監督のジブリ映画「風立ちぬ」で名古屋駅が出てきますし、主人公は戦闘機の設計士ですが、そのモデルは、三菱の堀越二郎であり、零戦を設計しました。
三菱は当時、岐阜県各務原市の各務原飛行場で試験飛行もしています。
現在、各務原飛行場は航空自衛隊岐阜基地となりました。
1917年開設と、日本国内に現存する飛行場では最も長い歴史を持ちます。
現在、航空自衛隊で運用する航空機等の装備品に関する試験を行う部隊、飛行開発実験団を擁しています。

川崎重工業及び川崎航空機工業は、各務原で戦闘機の生産が行いました。
1923年 川崎重工業が各務原(岐阜工場)で戦闘機を生産開始しました。
1937年 川崎重工業から分離独立した川崎航空機工業が継続生産。

以下の名古屋市内の地図で、愛知航空機と三菱重工業の計4つの工場位置がわかります。
名古屋陸軍造兵廠(りくぐんぞうへいしょう)は、国が作った兵器工場で、市内は3か所にあり、航空機ではなく、兵器製造を行っていました。
    
    
次回に続く