名古屋が舞台のジブリ映画「風立ちぬ」・零戦の設計技術者「堀越二郎」が主人公・名古屋の三菱重工業で設計開発生産
前回ブログの続きです。
前回は、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの展覧会「言葉の魔法展」が出身地の名古屋で開催!
名古屋が舞台のジブリ映画「風立ちぬ」が好きです。宮崎駿監督作品。
鈴木敏夫プロデューサーの展覧会「言葉の魔法展」のポスターの背景は、「風立ちぬ」に登場する、戦前の名古屋駅のカットです。
名古屋駅ホームでの名シーンが印象的です。
「風立ちぬ」 公式サイト
風立ちぬ Wikipedia
ゼロ戦を開発した三菱重工業の設計技術者であった、堀越二郎の話です。
戦中当時、名古屋に三菱重工業の戦闘機工場がありました。
そこへ、赴任してきたのが、堀越二郎です。
副題に、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。」とあります。
堀辰雄の小説「風立ちぬ」からの着想も盛り込まれています。堀自身が結核で軽井沢に療養しており、小説と映画にそのシーンが出てきます。
堀辰雄 Wikipedia
堀越二郎がいなかったら、当時、世界的にも優秀な戦闘機であったゼロ戦は生まれていなかったかもしれないし、戦後、初の国産旅客機のYS-11も生まれなかったかもしれませんし、東京大学等での教え子の優秀な航空宇宙技術者も生まれなかったかもしれません。
堀越二郎 Wikipedia
三菱重工業名古屋発動機製作所は、戦闘機工場であり、国内最大の航空機のエンジン工場でした。
現在のナゴヤドーム周辺には広大な大幸工場がありました。
港区には大江工場がありました。
三菱の2工場で、航空機機体18,000機、航空機用発動機(エンジン)50,000台
国内生産量の30~40%を占めていました。
堀越二郎は、現在の東海地方及び日本の航空産業・宇宙産業の発展のもとや、自動車工業や機械工業のもとを作った偉人のひとりだと思います。
私は戦争に賛成しませんが、一部の戦争反対論者の中には、この映画を戦争賛美と受け取り、批判する方もいるとは思います。
本作品で宮崎監督が描きたかったのは、戦闘機うんぬんではなく、堀越は美しい飛行機をつくることを目指しており、そこを描きたかったとコメントしています。
私は神社・仏閣めぐりが好きで、よく、神社やお寺で、慰霊碑や忠魂碑や表忠碑を見ますので、そのたびに、祈りをささげます。
そして戦争で亡くなった方や戦争のことについて考えます。
この方たちのおかげで今の日本の繁栄があります。
次回に続く。
戦前の名古屋や各務原を中心とする東海地方は零戦など戦闘機生産のメッカ・現在は航空宇宙産業のメッカ・多くの航空・宇宙博物館