Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

名古屋・大須の思い出 学生時代・設計事務所勤務時代・独立後の最初の住宅設計の地

前回ブログの続きです。
大須の町は、私にとっても、思い出深い場所で、好きな町です。
新旧やいろんな世界が入り混じった、「ごった煮」の人間味・人情味あふれる町です。

<大学時代>
大須は、通学した、名古屋工業大学に近く、歩いて行けるくらいで、学生時代や、大須の設計事務所 青島設計に勤め始めた頃には、ライブハウスのE.L.L(通称エル 正式名Electric Lady Land(エレクトリックレディランド))によく行きました。
当時、ロック系、パンクロック系、ビジュアル系のバンドの大好きな、高校時代からの同級生の友達が、同じ大学にいて(学科と学年は違います)、しょっちゅう、ライブやコンサートに一緒に行ってました。
このことについては、別ブログに詳しく書いています。
私の音楽人生3<大学2年生~就職3年目頃>ライブハウス・コンサート通い・「イカ天」・ロック・J-POP・沖縄音楽・ディスコ音楽・フォーク音楽
   
ライブが終わると、E.L.L近くの吉野家にもよく行きました。
その頃は大須というと、大須観音電気街コメ兵、昔ながらのアーケード街というイメージでした。
今は、アニメ系やおしゃれなお店が増え、だいぶ変わりました。
電気街のアメ横ビルでゲーム機などを買ったことがあります。
コメ兵でもいろいろ買いました。
当時、名古屋の町を大学を中心に、自転車でよく走ってました。
たまに、大学に車で行くこともありました。
学生が停められる駐車場はなく、車通学禁止でしたので、模型などを運ぶ時などに近所に停めて。

<設計事務所勤務時代>
大須は、私が独立前に勤めた設計事務所の青島設計のある場所です。
入社しての2年と東京事務所(7年)転勤から帰ってきた2年半の、合計4年半をこの町で過ごしました。
最寄駅は地下鉄上前津駅であり、大須の繁華街とは少し離れていましたが、大須のアーケード街などへ、ランチや飲みになどによく行きました。
よくランチに行ったのは、行列のできる人気店で、パスタの種類が豊富でおいしい角燈亭(らんたん亭)や、魚のおいしい磯料理まるけいです。
大須商店街ホームページ

コメ兵名古屋本店の本館は、青島設計が設計しています。担当者は大学の先輩、後輩もいます。
名古屋大須発祥のコメ兵はその後、急成長し、いまや全国(関東・関西・中国・九州地区)にショップがあり、宅配買取りも行う、日本最大級のリサイクルショップになりました。
昔、テレビ放送されていた、インパクトのある、文字だけの「いらんものはコメ兵に売ろう!」という短いCMは、知名度抜群で、私と同世代前後の方なら覚えていると思います。

大須の再開発複合商業ビルである、OSU301ビル (オオスサンマルイチビル)も、青島設計が設計しています。
大津南通りに面しており、ファサードの巨大な金龍が出迎えます。
低層階はアーケード街に面した、様々な商業店舗やクリニック等がテナントとして、入居し、上層階は区分所有マンションです。
再開発というのは、多くの底地の地権者がおり、様々な要望や意見があるなか、それをまとめあげる必要があり、非常に時間がかかり、利害調整などに神経を使う、とても大変な業務です。
  
スケートリンクのある名古屋スポーツセンターにもスケートをすべりに行きました。
名古屋は、オリンピック銀メダリストの伊藤みどり、浅田真央、宇野昌磨の他、安藤美姫、浅田舞、恩田美栄、村上佳菜子などオリンピック選手をたくさん輩出しています。
フィギュアスケート王国愛知については過去ブログ。
名古屋・稲沢建築見学2 名古屋市役所本庁舎 宇野選手の銀メダル祝福横断幕

大須観音の骨董市も行ったことがあります。
その他にも多くのイベントやお祭りがあります。
お祭り・縁日

青島設計での勤務は、多治見まで終電で帰ったり、徹夜して、事務所で明け方に寝るなんてこともままあり、家には寝るだけに帰ってくるような毎日で、休日出勤もありました。
入社2年目に、新栄のアパートで一人暮らしを始め、自転車で通いました。車ももっていきました。
一人暮らしのきっかけは、名古屋工業大学の大学院に行った、同じ研究室の同級生からの提案で、自分の住んでいる部屋を、借りてはどうかというものでした。
研究室の恩師である仙田満教授が東京工業大学の教授として、転勤となり、彼も東京に行くことになったのです。
仙田満先生は、日本建築家協会の会長や日本建築学会の会長をつとめたことがあります。
東京の麻布十番に環境デザイン研究所という設計事務所をかまえる、こども環境研究の第一人者です。
私たちは、大学時代の3,4年生の頃に、よく先生の事務所でバイトをして、模型を作ったりしていました。

新栄では、東京転勤になるまでの1年を過ごしました。
7年間の東京事務所勤務の間に、岡崎出身の妻と結婚しました。(このあたりのいきさつなどは次回ブログ
その後、名古屋本社に転勤となり、今度は岡崎から通勤し、大須で2年半を過ごしました。
  
<独立直後>
2002年にKAN建築設計として、独立(2008年にKANO空感設計に改称)して、一番最初に設計をしたのが、大須のバリアフリー住宅「悠々和らぎの家/名古屋」です。
独立してすぐに仕事が得られ、いろんな方やお施主様と運に恵まれました。
マンションの内装設計ですが、窓も間取りも内装材も自由に設計させていただくことができました。
2住戸分もある大きな家でした。
設計と現場監理で、1年半くらい大須に通っていました。設計時は2週間に1回、現場監理は1週間に1回くらいのペースです。
 
<現在>
名古屋はよく行きますが、最近は、大須に行ってないので、 また、行ってみたいと思います。
次回に続く。名古屋・新栄住まい時代の設計事務所勤務時代の思い出