Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

明智光秀の娘・細川ガラシャ 足利(広沢)義実の三兄弟 細川氏は細川郷(岡崎市)・仁木氏は仁木郷(岡崎市)・戸賀崎氏は戸ヶ崎村(西尾市)の発祥

前回ブログの続きです。
明智光秀が正室の妻木煕子(つまき ひろこ)(妻木城(土岐市妻木町)を居城とする妻木氏)との間にもうけた娘・珠は、細川忠興と結婚し、洗礼を受け、キリシタンの細川ガラシャ(洗礼名)となります。
 石田三成が家康打倒の兵を挙げるとガラシャは人質になることを拒んで自害しました。
京都の大徳寺の高桐院(細川氏の菩提寺)にある細川ガラシャと忠興の墓を参ったことがあります。

細川氏は、守護大名・戦国大名・外様大名で熊本城主、後に総理大臣を輩出します。
細川氏の発祥は、三河国額田郡細川郷(現・岡崎市細川町周辺)で、国道248号岡崎大橋を豊田へ渡る手前脇に細川城がありました。
うちの事務所の近くです。
熊本城が2年前の4月14日の熊本地震で崩壊する前の姿を、見学したことがあります。
岡崎と熊本のゆかりを感じます。
細川氏の祖は、細川義季です。
足利義季が細川郷に入り、細川次郎を名乗りました。
 
細川次郎の兄は仁木実国です。
足利実国が細川郷の隣の三河国額田郡仁木郷(現・岡崎市仁木町周辺)に入り、仁木太郎を名乗りました。
三河国守護大名の仁木氏(につきし)の祖となり、仁木郷には、仁木城がありました。

細川次郎の弟は戸賀崎義宗です。
足利義宗が、三河国幡豆郡戸ケ崎村に入り、戸賀崎氏の祖となり、西尾市戸ケ崎町城山に戸ケ崎城がありました。
その子、荒川満氏は荒川氏(前期荒川氏と呼ぶ)の祖となり、荒川氏は南北朝時代には2カ国の守護を務め、室町時代には奉公衆として将軍に近侍しています。
後期荒川氏と呼ぶ荒川氏は、東条吉良家からの分家です。
祖は荒川義弘で前期荒川氏の名跡を継ぎ、「荒川氏」を名乗りました。
戸ケ崎村の隣の三河国荒河村(現・西尾市八ツ面町)の荒川城を居城としました。
  
三河守護代の西郷氏は、土岐頼忠の子の西郷頼音が任じられたのが始まりとされています。
西郷氏は、岡崎城を築城しましたが、のちに服属し、家康の家臣となりました。
西郷義勝の妻は、のちに徳川家康の側室西郷局(お愛)となり、二代将軍の徳川秀忠と四男・松平忠吉(東条松平家4代(養子となり継ぐ)、尾張国清洲藩主、井伊直政の娘婿でもある)を産んでいます。
東条松平家は、松平宗家5代目・松平長親の三男・義春を氏祖とし、西尾市吉良町の東条城を居城としました。
もとは東条吉良氏(吉良氏は足利氏の名門一族。西条吉良氏と東条吉良氏に分裂)の居城です。
吉良氏の菩提寺の華蔵寺に行ったことがあります。
吉良氏一族の墓と、赤穂事件(忠臣蔵で有名)で無念にも、葬られてしまった吉良義央の墓があります。
過去ブログ。
西尾市吉良町の建築物見学 その1 吉良家の菩提寺「華蔵寺」
  
隣には東条吉良氏の菩提寺の花岳寺があり、行きました。
本堂が国の登録有形文化財です。

西条吉良氏の居城は、西尾城です。
 
最近、西尾市役所に行ったら、「忠臣蔵をNHK大河ドラマに」という誘致ポスターが張ってありました。
芝居やドラマ等では、悪役にされてしまっていますが、非常に残念なことであり、実際には、治水事業として黄金堤を築いたり、領民思いの名君であり、地元では、「吉良さん」と呼ばれ、尊敬の念が強く、慕われています。
吉良義央が敵役ではない、吉良氏側から見た、新しい忠臣蔵を見てみたいものです。