Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

旧本多邸移築 その1

岡崎図書館りぶらへ本を借りに行ってきました。
たまたま、館内の「お城通りギャラリー」で、あるイベントがやっていたので見てきました。

それは、<特別企画 旧本多邸の魅力展>というものです。
旧本多邸とは、徳川家康の家臣で徳川四天王の一人、岡崎藩主 本多平八郎忠勝の直系子孫である本多忠次氏が東京世田谷に建てた昭和初期の洋館の自邸のことです。
当時の上流階級で好まれたスパニッシュ様式に中世イギリスで流行したチューダー様式の要素を取り入れた独特な建物で、文化的な価値も高いものです。

岡崎市は、その旧本多邸が解体される時(1999年)に、解体した部材や家具・調度品などの寄付を受けており、岡崎東公園に移築し、市民に開放する計画を進めています。

以前から、知っていましたが、詳しくは知りませんでした。
次回に続く。

柴又の思い出 その2

昨日のブログの続きです。
住んでいたアパートは「帝釈天で産湯をつかり・・・」という寅さんの名セリフで登場するお寺(正式名は題経寺)のすぐ近くで、矢切の渡しのある江戸川もすぐでした。
川向こうは千葉県です。
都会とは思えない、のんびりとした雰囲気が好きでした。

番組でも登場した、お土産屋さんなどが建ち並ぶ参道が、毎日の柴又駅までの通勤の行き来の道でした。
石畳の参道は店の軒が連なり、急な雨のときは、軒伝いに急ぎ足で帰ったものです。
濡れた石畳も風情がありました。

参道では、4月には桜、5月にはしょうぶ、お盆の時は迎え火のろうそくを並べたり、季節感がありました。

帝釈天は地元住民の憩いの場でした。
広い境内では、番組でも紹介された、早朝のラジオ体操をやったり、盆踊りをやったり、カラオケ大会や驚いたことにリングを作ってボクシングなんてイベントもありました。
ヨーロッパには、町のいたるところに人々が集まる「広場」がありますが、古来からの日本では、そういう「広場」や公園がない代わりに、お寺の境内がその役割をしていたんだなと思いました。
帝釈天では、毎日、早朝6時、お昼12時、夕方6時に鐘がゴーンと鳴らされ、時を周囲に告げていました。
東京にいるのに、なんだかなつかしいような、郷愁を感じさせる不思議な町でした。

ぜひ、東京へ行く機会があれば、浅草観光のついでに、柴又へ足をのばしてはいかがでしょうか。
マンガ「こち亀」の両さんのJR常磐線亀有駅も近いですし、同線金町駅近くの大きな水元公園ものんびりできてお勧めです。
桜の季節が特にいいです。

柴又の思い出 その1

土曜日の夜にテレビ愛知で「出没!アド街ック天国」という番組を見ました。
愛川欣也さん司会の長寿番組で、東京に住んでいたころはよく見ていました。
主に関東圏のいろんな街を取り上げ、毎回1つの街のお店などの名物をベスト30にまとめカウントダウンしていくという番組です。
地元の人しか知らないようなお店などが登場する、とてもマニアックな番組で、かつ関東の街しかほとんど取り上げないのに、どうしてテレビ愛知でずっとやっているのか、視聴率がとれているのか不思議に思っています。
今回は東京都葛飾区の「柴又」が取り上げられました。柴又のベスト30はこちら
実は、ここは、私たち夫婦が新婚当初の5年間住んだ町で、とても思い出深い町です。
私は結婚前2年間を東京都大田区の南馬込に住んでおり、計7年東京に住んでいました。
柴又といえば、全国的に有名な「寅さん映画」であり、たくさんの観光客が訪れる下町の代表的な観光地です。
なぜ柴又に住んでいたかというと、事務所に通勤するのに、自分達にとっては便利だったからです。
乗り換えなしで済む京成電鉄沿線で家探しをしていて、特急も停まる京成高砂駅がいいなと思ったのですが、家賃が高いので、1駅隣の柴又駅にしたというわけです。
当時の事務所最寄駅は港区の大門で、都営浅草線の駅であり、京成電鉄の電車が乗り入れていたのです。

たまたま、寅さん映画が好きだったこともあります。
旅行が好きなので、映画を見ていると全国のいろんなところを寅さんが旅していて、旅心をくすぐります。
次回に続く。

1 914 915 916 917 918 1,093