特攻戦闘機を展示する鹿児島の平和博物館 知覧特攻平和会館・万世特攻平和祈念館・鹿屋航空基地史料館
前回ブログの続きです。
特攻戦闘機を展示する鹿児島県の平和博物館を紹介します。
知覧特攻平和会館は、薩摩半島の南九州市知覧町にあった特攻基地・知覧飛行場にあります。
特攻隊員の写真や遺書・遺品なども多数展示されています。
「特攻」を学ぶ というページを見ると、詳しく書かれています。
特攻隊は、九州全域、沖縄、台湾から出撃していますが、本土最南端だったということもあり、知覧が最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名がこの基地を出撃し、亡くなっています。
特攻で、愛知県出身者は43名が亡くなっており、東京に次ぐ多さです。
館内に戦闘機や特攻艇の実機の展示があります。
零式艦上戦闘機「零戦」。
三菱重工業(旧・三菱内燃機製造)が開発・製造。
鹿児島沖に海没していたものを引き上げた実機です。
ジブリ映画「風立ちぬ」は、零戦を設計した三菱の堀越二郎がモデルです。戦後、国産初の旅客機YS-11も設計しました。
中島飛行機でも生産され、総生産数の半数以上は中島製です。生産数は日本の戦闘機では最多の1万機以上。
当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定で、零戦の「零式」との名称は、制式採用された1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であるためです。
堀越二郎が設計した一式戦闘機「隼」(はやぶさ)。
開発は中島飛行機。製造は中島飛行機および立川飛行機。総生産機数は2位の5,700機以上。
特攻機として166機が使われ、その内120機が知覧基地から出撃しました。展示はレプリカ。
四式戦闘機「疾風」(はやて) 。開発・製造は中島飛行機。
624km/h/5,000mという最高速度は大戦中に実用化された日本製戦闘機の中では最速。総生産機数は3位の約3,500機。
世界で唯一原型を留めた良好な状態で現存する実機。
戦闘機以外では、 海軍水上特攻艇「震洋」があります。
知覧特攻平和会館周辺には、多くの戦争遺跡などがあります。戦跡案内
「平成27年8月まで展示があった陸軍三式戦闘機「飛燕」は、所有者である日本航空協会に返却されました。」とサイトにあります。
↓これが、今春リニューアルオープンされた、岐阜県各務原市の岐阜かかみがはら航空宇宙博物館 に展示されている、「飛燕」です。 残存する唯一の実機です。各務原の川崎重工業岐阜工場で製造されました。生まれ故郷に帰ってきました。
万世特攻平和祈念館は、知覧町の近くにあります。南さつま市加世田高橋1955番地3
日本三大砂丘の吹上浜にあった終戦間際のわずか4ヶ月間使用された陸軍の特攻基地「万世特攻基地」から201名の若者が出撃し命を落としました。砂に埋まった零式三座水上偵察機があります。
鹿屋航空基地史料館 は、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地(大隅半島中部)内にあります。
鹿屋航空基地は、昭和11年鹿屋海軍航空隊に始まり多くの戦闘に参戦し、特攻作戦の出撃基地になりました。
旧日本海軍創設期から第2次大戦までの資料、戦争に関する資料が並びます。
↓零戦の復元機の展示や多数の野外展示実機があります。
特攻隊員の写真や遺書・遺品なども多数展示されています。
鹿屋基地見学ツアーもあります。
大ヒットした特攻兵士を描いた、戦争映画「永遠の0(ゼロ)」を思い出しました。
ドラマ版の第三夜で、この史料館が登場します。
次回に続く。