西尾祇園祭 7月13~15日開催・伊文神社(西尾市岩瀬文庫を設立した岩瀬弥助が奉納した大灯篭)、御劔八幡宮
前回ブログの続きです。
前回は、「西尾市岩瀬文庫の岩瀬弥助が設立した西尾鉄道・現 名鉄西尾線の南区間、旧 平坂支線、旧 西尾線、旧 名鉄福岡線(岡崎市)、昔の西尾線は岡崎とつながっていた」
西尾市岩瀬文庫を設立した岩瀬弥助は、伊文神社にある大きな石灯籠を、文庫の設立を記念して奉納しました。
西尾祇園祭(祇園祭、天王祭)が、今週末の7月13~15日に行われます。
西尾祇園祭 西尾市観光協会
西尾市の文化財 祇園(天王)祭りの神輿と御旅所
<伊文神社(いぶんじんじゃ)>
西尾の祇園祭の起源は、伊文神社が行っていた祭礼です。
西尾城下の総鎮守総氏神として、城主一般の崇敬篤い神社です。
主祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、文徳天皇(モントクテンノウ)
社格が高く、正一位、神饌幣帛供進神社
平安時代に、文徳天皇の皇子八條院宮が住んでいた、三河国渥美郡伊川津(田原市旧渥美町)から移した神社と伝えられます。
朝廷の命により、吉良の地を根城にしていた兼光・兼森という兄弟の逆徒討伐の為、西尾の地に赴かれました。
その際に屋敷の東西に御祀されていた、天王社(現・伊文神社)と八幡社(現・御劔八幡宮)を随遷されたと伝わっております。
社名については、天王社、天王宮、伊文山牛頭天王、伊文山天王宮等と称しましたが、伊文社となり、明治維新以降は伊文神社とされ、「伊文さん」「祇園さん」等と親しまれています。
社名は、もともとの地名「伊文山」(いもやま)の「いも」⇒「いもん」⇒「いぶん」から由来。
<御劔八幡宮(みつるぎはちまんぐう)> 御劔八幡宮
今に伝わる西尾祇園祭のメインイベントは西尾城内にある御劔八幡宮に神輿を渡御し、伊文・御劔両社の神様同士の「ご対面」を行うことです。
伊文神社の紹介でも説明したように、伊川津から西尾へ最初は西尾の松山(現・山下町)にありました。
足利義氏が承久の乱での功績により三河国守護職に任じられた際に、この地に城(西條城)を築くにあたり、本丸の東北に松山にあった八幡社を奉遷し、城内守護の神として御祀りされました。
三河五社八幡のひとつ。
次回に続く。
「豊橋祇園祭7月19~22日開催・吉田神社・奉納手筒花火・花火大会」
祇園祭は豊橋市でも、今月行われます。
吉田神社の祭礼が起源である、豊橋祇園祭です。吉田神社での奉納手筒花火や花火大会などが有名です。
西尾も豊橋も、いずれも、京都の八坂神社(祇園さん)の日本三大祭である祇園祭からの由来です。同じ神様を祀っています。