見学済の海外の世界遺産1 バチカン市国・イタリア
前回のブログの続きです。
前回は、「見学済の日本国内の世界遺産」
行ったことのある海外の世界遺産を紹介します。
世界遺産名を最初に「 」で書き、その下に、そのうち行った場所をその下に書いてあります。
[ バチカン市国 ]
イタリアのローマ市に囲まれている小国で、国全体が世界遺産です。
「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」 の以下を見ました。
世界遺産名の「教皇領」とは、バチカン市国のことです。
サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ広場
バチカン宮殿
バチカン美術館
[ イタリア ]
文化遺産が48件、自然遺産が5件、複合遺産が0件で合計53件あります。2017年12月現在
日本は文化遺産が18件、自然遺産が4件、複合遺産が0件で合計22件です。2018年6月現在
文化遺産登録件数で、日本の3倍以上あります。
なお、1つの文化遺産名で複数の建造物が登録されているので、その差はもっと広がります。
イタリアは世界で一番多く世界遺産を保有している国です。
古代ローマ文明の地であり、広大なローマ帝国を築いたので、歴史的な建造物の宝庫なので、当然でしょう。
私が初めて行った海外の国がイタリアです。ツアーではなく、個人旅行です。
イタリアは、建築設計をする身としては、絶対見ておくべき国だと考えたからです。
最初にローマに入り、北上しながら、世界遺産の各都市をまわり、その後、ミラノ発スイス経由パリ行きの夜行寝台列車で、フランスへ行きました。
ギリシャもローマ帝国の前の時代の重要な建築技術をつくった国なので、ギリシャにもその後、新婚旅行で行っています。
(イスラム建築を見にトルコも)
イタリア政府観光局(ENIT) 公式サイト
<ローマ市>
「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」 の以下を見ました。
コロッセオ
フォロ・ロマーノ
コンスタンティヌスの凱旋門
カラカラ浴場
<フィレンツェ市>
「フィレンツェ歴史地区」 の以下を見ました。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
ヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)
ヴェッキオ宮殿
ピッティ宮殿
サンタ・クローチェ聖堂
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
<シエーナ市>
「シエーナ歴史地区」 の以下を見ました。
シエーナ大聖堂
カンポ広場
<サン・ジミニャーノ>
「サン・ジミニャーノ歴史地区」 の以下を見ました。
14もの塔が林立する丘の上の街です。以前は72もの塔がありました!他では見られない壮麗な景観です。お勧め。
サン・ジョバンニ門
グロッサの塔
ドゥオモ(大聖堂)
ドゥオーモ広場広場
チステルナ広場
ポポロ宮殿(市立美術館)
<ヴェネツィア市>
「ヴェネツィアとその潟」 の以下を見ました。
車が入ってこれない運河と迷路のような通路の街。人間らしく暮らせそうなヒューマンサイズの街で、お気に入りです。
サン・マルコ大聖堂
サン・マルコ広場
ドゥカーレ宮殿
カナル・グランデの建築群
リアルト橋
フランケッティ美術館(カ・ドーロ)
<ヴィチェンツァ市とヴェネト地方>
「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ」 の以下を見ました。
16世紀に活躍した建築家アンドレーア・パッラーディオの設計したパラッツォおよびヴィッラを対象とした、世界遺産名に建築家の名前が入っている珍しい事例です。
パッラーディオはルネサンス期で最初の職業建築家(つまり他の芸術活動は行わなかった)であり、設計した建築物や著作に由来するスタイルは、後にパッラーディオ主義と呼ばれ、ヴェネツィア共和国をはじめ、ドイツ、ロシア、イギリス、アメリカにまで広がりを見せました。
このように、一個人の名を冠する建築様式はほかになく、彼がいかに独創性豊かで一貫したスタイルを保ち続けたかが分かります。
パラッツォ・バルバラーノ・ダ・ポルト
パラッツォ・ティエーネ・ディ・スカンディアーノ
パラッツォ・デッラ・ラジョーネ 「バシリカ・パッラーディアーナ」
ロッジア・デル・カピタニアート
パラッツォ・ヴァルマラーナ
パラッツォ・ポルト・ブレガンツェ
パラッツォ・キエリカーティ(現・キエリカーティ絵画館)
テアトロ・オリンピコ
カーサ・コゴッロ
ヴィッラ・アルメリコ 「ラ・ロトンダ」(ヴィチェンツァ近郊)
<ミラノ市>
「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院 」の以下を見ました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
名画「最後の晩餐」は見られませんでした。
次回に続く。
「見学済の海外の世界遺産2 フランス」