岡崎・圓福寺(元・妙心寺) 参詣2 徳川家・岩津松平家・公家の二条家ゆかり
前回のブログの続きです。
再び、鐘楼の前へ。圓福寺は、徳川家の先祖・松平信光が創建したお寺です。信光は岩津松平家の祖です。
先日行った、同じく、信光が創建した、近くの信光明寺の総門の前にもありましたが、脇に、「下乗石」があります。
「下乗石」の意味については、過去ブログ。
岡崎・信光明寺に参詣1 岩津天満宮のルーツ
手水舎
水は流れていませんでしたが、本来は、仏様から、水がハスの葉を伝って水盤に落ちてくるようです。
境内の桜。写真左に見えるのが、前回ブログで書いた若一神社の末社。
樹齢数百年の大きな楠の木です。
堂々たる大殿(この宗派では本堂のことをこう呼ぶ)には、岡崎市指定文化座の仏像があります。
屋根の棟には、立派な徳川家の葵紋があります。
こちらの案内板にも、圓福寺の歴史が書いてあります。
大殿のガラス戸には、下がり藤の紋があります。天皇家とのゆかりが深い二条家の紋です。五摂家のひとつで公家です。
大殿の中をちょうどいらした、住職に見せていただき、参詣した後、このお寺の歴史などのお話をお聞きすることができました。これらの紋のことも教えてくださいました。
新しそうな、二宮尊徳像。久しぶりに見ました。
以前見たのは、豊橋の豊橋市民俗資料収蔵室です。元は木造の小学校で、国の登録文化財です。ちなみにこちら。
お釈迦様の足型でしょうか?
よく見ると、卍や貝などの図があり、興味をひきます。
梵字の彫られた塔。
楠のまわりはかつて棟に上がっていただろう、大きな鬼瓦が多数あります。
津島社(厄除けの神様)と秋葉社(防火の神様)
仏堂?
経堂
大殿との行き来のための石橋がかかっています。くぐった先は墓地です。