Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

岡崎・圓福寺(元・妙心寺) 参詣3 岩津妙心寺城跡・松平宗家・岩津松平家・長沢松平家・大河内松平家の墓

前回のブログの続きです。
このお寺が徳川家の先祖・松平宗家三代・信光(岩津松平家の祖)によって創建される前は、この地に、岩津妙心寺城がありました。
空堀、土塁等の遺構はありません。
信光が本拠とした、岩津城はこの近く(信光寺のすぐ北、岩津天満宮の西)にあり、空堀、土塁の遺構が残っているので、行って見たいと思います。

岩津妙心寺城の築城年は不明です。信光の十一男・親則の居城です。
26歳の若さで亡くなり、信光が、菩提を弔うため、松平宗家二代・㤗親の子・教然良頓を開山とし、城跡に、妙心寺を創建したのです。
親則は、長沢松平家の祖と言われ、豊川市の長沢城(音羽蒲郡IC近く)を居城としました。
松平家一族のお墓に墓参しました。

門の西脇に立つ石柱に「長澤松平家」の文字が見えます。

左端から、二代・㤗親の娘、三代・信光、信光の子・親則(長沢松平家の祖)、二代・㤗親の墓。
ここには初代親氏の墓はないですが、松平宗家三代(初代・二代・三代)の墓は、信光明寺にもあり、より、立派でした。
過去ブログ
岡崎・信光明寺に参詣3 家康公先祖の松平家三代の墓所 3回シリーズの3回目

左端は、開山した二代・㤗親の子・教然良頓の墓。

中央は、長沢松平家から分家した、大河内松平家初代・松平正綱の墓。

後列左端は、大河内松平家の松平信綱の墓。江戸時代前期の大名で武蔵国忍藩主、同川越藩初代藩主。老中。

松平一族の墓。左から松平信実、松平清須、松平清直の墓。

松平一族の墓。左から、松平親安、松平親茂、ひとつおいて、松平親正の墓。

次回に続く