液状化対策の地盤補強工法7 矢作川下流の流れを西へ大きく変える大工事・矢作新川の開削・旧河道となった矢作川本流の弓取川
前回のブログの続きです。
矢作川は、今とは川の流れが、かつては大きく違っていました。
国土交通省 矢作川 治水の歴史
特に下流は人工的に大きく変えられました。

徳川家康が岡崎城主の田中吉政に命じて、1605年に矢作川の本流を、西尾市の八ツ面山(展望台があり、行ったことあります)の近く志貴野町から、西に付替えました。
当時、矢作新川と呼ばれ、安城市と西尾市のさかいの台地を掘削して、碧南市の三河湾まで流れるように変えました。
現・矢作川です。
油ヶ淵は、碧南市と安城市の境に位置する愛知県唯一の天然湖沼ですが、元は、海で入り江(湾)でした。
周囲が大きく埋め立てられて、現在は汽水湖(海水と淡水が混じる)となっています。
下図のように、矢作川は、その付け替え工事をする前は、かつては、下流では弓取川の名で流れていました。
ほとんどなくなっているので「幻の大河」と呼ばれています。
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下図で、上が二ヶ崎川。小島町城山付近から始まる川
下が弓取川

現在の古川用水が、弓取川の名残りです。
西尾中学校(西尾市役所近くの南東)や一色高校は、この弓取川の跡(旧河道)に建てられています。
一色高校付近が河口付近です。
紫が現在の矢作古川で、薄青が弓取川だった流路(旧河道)です。

現在の矢作古川の寄近・小焼野の町境付近で、西へ流れていました。
上流から追うと、弓取川は左岸が細池町、須脇町、斉藤町、市子町、八ヶ尻町、一色町、右岸が今川町、川口町、熱池町、上・下道目記町、行用町、一色町になります。当時の河口は一色町の開正・赤羽両地区の境で、起点部である寄近―小焼野の河川敷の幅が約90㍍だったのに対し、河口部の行用―八ヶ尻は約200㍍だったそうです。
弓取川の名前については、矢作川の「矢」に呼応して「弓」を使ったそうです。
参考サイト
【弓取川①】矢作本流だった幻の大河
【弓取川②】流路を追ってみた
矢作新川の工事をしたあと、1646年に新田開発のために、弓取川をせきとめ、安藤川と広田川をまとめたのが、矢作古川です。
現在の本流である、矢作川(以前の名では矢作新川)よりも、実は新しいのです。
矢作川の付け替えにより、河口付近では、上流から流れてくる大量の砂が堆積し、その地形を利用して、新田開発がさかんに行われてきました。
次回に続く。





