Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

液状化対策の地盤補強工法6 液状化しやすい水害実績地・巨大な元池(幸田町の菱池・岡崎市の妙覚池)・矢作川、乙川の破堤・豪雨での岡崎市、幸田町の大規模な浸水被害

前回のブログの続きです。
過去に水害のあった土地は、液状化の可能性が高いです。
前回ブログで書いたように、川の流れは人工的に変えられてきたので、人工の技術力を超える災害があった場合は、自然の力の流れにまかせるがまま、河川の決壊や破堤が繰り返されてきました。

矢作川流域は、昔は水害常襲地域で、比較的近年である1789年~1903年の約100年間で18回破堤しています。
それ以前には、もっとあったと思われます。
濃尾地震の際に、中之郷から六名に至る矢作川の堤防に亀裂が入り、安藤川堤防を始め各所に小欠損が発生しています。
近年、水害にあった土地自然に池ができるような低い土地は、大昔から過去にもなんども水害にあっていると思われます。
そして、川からの大量の砂が堆積してきたはずです。

入り江の埋め立ても人工的な改変です。
下図にある、幸田町の巨大な「菱池」は、1883(明治 16)年に干拓して埋め立てられて、新田開発が行われました。

沼の底土はヘドロであり、何回埋め立てても地盤が沈下し、堤防も崩壊するという状況が続きましたが、水車を使って水を抜くことに力を尽くし、約二年の歳月をかけて竣工し、東西5.4km、南北1.8kmの約50hrの広大な菱池新田が実現しました。
菱池は、油ヶ淵(碧南市と安城市の間)よりもかなり大きな池でした。
現在、内陸部にある、油ヶ淵元は海の入り江(小さな湾)であり、周囲が埋め立てられ、現在の大きさになったものです。

菱池干拓以前は広田川の調整池としての機能をもっていました。
現在もその地名が「菱池」や「新田」として残っています。菱池干拓 
JR幸田駅の北あたりです。
菱池干拓記念碑があり、菱池神社は 菱池干拓の功労者を祀ります。

豊橋の沿岸部の有名な干拓地である、神野新田(じんのしんでん 旧・毛利新田)を再開発した愛西市出身の実業家、神野金之助(かみの きんのすけ) (初代・重幸)は菱池の干拓事業も行っています。菱池干拓のほうが先です。
神野新田には、神野新田資料館があります。
  
岡崎にも東海道線西岡崎駅付近に、妙覚池という巨大な池がありましたが、1649年に埋め立てられました。
矢作川が,岡崎平野を幾筋にも分かれて乱流してきた時代には,その流れが妙覚池にも入り,大水の時の自然調整池としての役目を担っていました。
岡崎市上佐々木町・下佐々木町は矢作(やはぎ)川右岸にありますが、妙覚池に臨む地形にちなんで佐崎・狭崎と称し、のち表記を改めたといいます。石工団地や三河一向一揆の三ヶ寺である上宮寺のあるあたりです。


<平成20年8月末豪雨での岡崎市、幸田町の大規模な浸水被害>
2008年の「平成20年8月末豪雨」は、岡崎で伊賀川など9河川が氾濫し、死者も出した、大きな被害を出した水害を引き起こしました。
その時、「菱池」のかなり広い範囲が、広田川の決壊により、冠水し、床下浸水64戸、床上浸水55戸の被害がでました。

岡崎市では8月29日の1時から2時までの1時間の雨量が8月の観測史上1位を更新する146.5ミリに達したのをはじめ、1時間雨量の記録を更新した地点が21ヶ所を数えました。平年の8月1ヶ月分の降水量を上回りました。
全市民に避難勧告が出、自衛隊派遣要請もされました。
岡崎市は広範囲で浸水被害がでました。
岡崎市内の被害は、三河橋崩落、建物の全壊4棟、半壊1棟、また床上浸水890棟、床下浸水1,610棟で、全体で2,500棟。
岡崎市のホームページで町別の被害状況がわかります。岡崎市内の町別 床上・床下浸水件数
これを見ると被害の大きい町(100件以上を記載)は、氾濫した伊賀川沿いの伊賀町286件、稲熊町248件、大平町129件、久後崎町116件、福岡町123件、明大寺町117件、元能見町132件、若松町122件あります。
六名は各町名ごとだと、100件以下ですが、「六名」と付く地名の町全体では250件と大きな被害です。
久後崎町は 1882年乙川が決壊した「久後切れ」のある町です。旧乙川流路の付け替え部あたり。
過去ブログ
液状化対策の地盤補強工法5 液状化しやすい元川(旧河道)・元堀
 
岡崎市のホームページで浸水実績図が見られます。平成20年8月末豪雨編と2000年の東海豪雨編の2つがあります。
次回に続く。