液状化対策の地盤補強工法5 液状化しやすい元川(旧河道)・元堀
前回のブログの続きです。
もとは川が流れていた場所(旧河道といいます)も液状化の可能性が高いです。
古地図を見るとわかることもあります。大正時代の岡崎の古地図。
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川の流れは太古から幾度も変えていますので、現在の敷地が河川から離れていたとしても、液状化(地震の揺れも大きい)について、安心はできません。
特に大河川である矢作川は、堤がない時代が長く続き、網状に乱流しており、何本も川筋があり、また流れを変えてきています。

矢作川流域はほとんどが、花崗岩地帯なので、河床や沖積平野(主に河川による堆積作用によって形成される平野のこと)の広い面積にわたって、砂が堆積しています。
頻繁な洪水のたびに、破堤が何度も繰り返され、堤外に砂が堆積しています。

また、室町時代以降、特に江戸時代以降には、大規模な河川付け替え工事が各所で行われ、流路が変えられて、かつてあった川が埋め立てられているところが多数あります。
旧河道と災害に関する事例的研究(土木学会論文)が参考になります。
例えば、岡崎市内でいうと、下図に示すように、かつて、乙川は岡崎城南付近の久後崎町あたりから、南へ流れ、現在の占部川の位置を流れていましたが、室町時代に六名堤を築き、西に流れを付け替えて矢作川に合流させ、元の川跡は埋め立てられています。(乙川旧流路)
六名堤付近は、以降、しばしば破堤しています。久後切れ、三島切れ。

岡崎城の周囲は、堀を埋めたところや総構えと呼ぶ町全体を取り囲む堀を埋めたところがあります。
他の城がある、また、かつてあった土地も同様な傾向があると思います。

うちの事務所(岡崎市北部の百々西町)の近くでいえば、青木川は、現在のように、矢作川に直接西へ合流しておらず、河原町付近から、南下して流れていました。1633年に現在のように付け替えられました。
かつて用水があったところが、暗渠化されたり、流路が変わり、埋め立ててられたりしているところもあります。
過去にどのような土地であったのか調べることは、今後の地震に対する備えとして重要なことです。
次回に続く。





