Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

主に東京事務所勤務時代に行った関東と静岡県東部・山梨県の建築見学旅行・観光旅行

前回ブログの続きです。
東京事務所勤務時代には、建築見学をよくしました。特に現代建築です。
東京や関東は見るべき建築物がたくさんありすぎます。
ギャラリー・間(TOTOが運営)やGAギャラリーなど、建築専門ギャラリーや建築専門書店も多くあり、よく行きました。
建築設計をする者にとっては、素晴らしい環境です。
東京勤務ができてよかったと思います。
少なからず、現在の自分の設計の役に立っていると思います。

名古屋本社に戻ってきたら、遠いのでなかなか、静岡東部や関東や東北には、旅行に行けないと思い、よく行きました。
旅行先でも建築見学をたくさんしましたし、建築を見るために行った旅行も多くあります。
下記以外でも仕事で行った場所は数多くあります。
マンション等の計画案をたくさんやっていたので、いろんなところに敷地調査や市役所調査で行きました。
学生時代や名古屋本社勤務時代、独立後に行った箇所も含みます。
( )内は行った先で特に思い出に残っているものです。

東京:23区及び近郊(たくさんありすぎて書ききれず。別ブログで書きます)、小金井(江戸東京たてもの園)、立川、多摩ニュータウン(パルテノン多摩:曽根幸一の設計)、八王子、奥多摩(奥多摩湖)、青梅(玉堂美術館:吉田五十五の設計、吉川英治記念館:谷口吉郎の設計)
 
静岡県(東部):伊豆半島一周(修善寺、天城湯ヶ島(天城ドーム:橋本文隆の設計、松崎町立伊豆の長八美術館:石山修の設計、石廊崎、下田、大室山、伊豆高原、伊豆ティディベアミュージアム、伊東、池田ニ十世紀美術館:井上武吉の設計)、熱海(釣り)、田貫湖(逆さ富士)、富士市(白糸の滝)、御殿場

山梨県:甲府(山梨文化会館:丹下健三の設計、アリア:北河原温の設計、ほうとう)、富士五胡(忍野八海)、昇仙峡、笛吹(石和温泉、笛吹川フルーツ公園

神奈川県:箱根(箱根プリンスホテル宿泊:村野東吾の設計、芦ノ湖、大涌谷、ロープウェー、温泉、彫刻の森美術館:井上武吉の設計)、川崎(川崎大師)、横浜(中華街、関内、みなとみらい、横浜赤レンガ倉庫、横浜港大桟橋国際客船ターミナル(foaの設計)、山下公園、横浜スタジアム観戦、港の見える丘公園)、横浜金沢八景シーパラダイス、横須賀(ベイスクエア横須賀:丹下健三の設計、海軍カレー)、鎌倉(鶴岡八幡宮、神奈川県立近代美術館(坂倉準三の設計)、建長寺、円覚寺)、湘南(海水浴)、江の島、藤沢(秋葉台文化体育館:槇文彦の設計、湘南台文化センター:長谷川逸子の設計、慶応義塾湘南藤沢キャンパス:槇文彦の設計)、三浦市、三浦半島一周(マグロ三昧)

埼玉県:大宮(さいたまスーパーアリーナ、ビートルズミュージアム、埼玉県立美術館:前川国男の設計)、浦和(埼玉県立近代美術館:黒川紀章の設計)、与野(彩の国さいたま芸術劇場:香山寿男)、川口、川越(蔵の町、川越亀屋:大江匡の設計、川越市立博物館:戸尾任宏の設計) 

千葉県:ディズニーリゾート、船橋(ザウス屋内スキー)、松戸(森のホール21:A&T建築研究所の設計)、柏(さわやかちば県民プラザ:岡設計の設計)、佐倉(佐倉市役所:黒川紀章の設計、佐倉市立美術館:坂倉準三事務所の設計、川村記念美術館)、幕張(幕張メッセ(東京モーターショー等)、幕張パティオス)、千葉市(千葉県美術館:大高正人の設計、千葉ポートタワー、千葉モノレール)、成田山新勝寺(新車のお祓い)、房総半島一周(九十九里浜、御宿、海岸美術館:石井和紘の設計、安房小湊)、市原、佐原(水郷めぐり)、銚子(犬吠埼)

茨城県:水戸(旧弘道館、偕楽園、水戸芸術館:磯崎新の設計、水戸市西部図書館:新居千秋の設計、あんこう鍋、納豆料理)、日立(日立シビックセンター:坂倉建築研究所の設計、パチンコパーラー:妹島和世の設計)、霞ヶ浦、鹿島(鹿島神宮、鹿島サッカースタジアム)、筑波山、筑波(つくば研究学園都市、つくばセンタービル:磯崎新の設計、つくばカピオ:谷口吉生の設計)、牛久(ひたち野リフレ:妹島和世の設計)、古河(古河総合公園飲食施設:妹島和世の設計、古河歴史博物館:連合設計社市谷建築事務所の設計)
 
栃木県:日光(日光東照宮、輪王寺、中禅寺、中禅寺湖、華厳の滝、竜頭の滝)、奥日光(湯元温泉、湯ノ湖)、日光江戸村、宇都宮(宇都宮美術館:岡田新一の設計、餃子)、笠間(笠間日動美術館:芦原太郎の設計)、佐野(佐野市郷土博物館:戸尾任宏の設計、佐野ラーメン、佐野厄除け大師)、益子(益子焼の陶器)
 
群馬県:前橋、高崎(群馬音楽センター:アントニン・レーモンドの設計、群馬県立近代美術館:磯崎新の設計、山田かまち美術館)、富岡(群馬県立自然史博物館:内井昭蔵の設計 大学同級生が設計担当 恐竜展示、富岡市立美術博物館:柳澤孝彦の設計)、渋川(伊香保温泉、ハラ・ミュージアム・アーク:磯崎新の設計、榛名湖)、利根郡片品村(丸沼高原スキー場)

次回に続く。東北旅行。
 

東京事務所での設計事務所勤務時代の港区の3つの勤務地の思い出・三田(JR田町)、大門(御成門・JR浜松町)、麻布十番

前回ブログの続きです。
7年間の東京事務所勤務のうち、事務所移転が2回あったので、3か所の勤務地に通いました。
三田(JR田町)、大門(御成門・JR浜松町)、麻布十番です。
いずれも港区内で、東京タワーが近くに見えました。
東京事務所では、マンション、メーカー企業寮、自動車メーカー研究所、自動車メーカー労働組合会館、写真ギャラリーのある本社オフィスビルなどをメイン設計担当しました。
建設地は、港区、台東区、新宿区、東京都日野市、神奈川県川崎市、千葉県印西市などです。
日野市や印西市の千葉ニュータウンは、現場監理に通うのが、かなり遠かったです。
静岡県裾野市の建築主の会社へは、新幹線でたびたび打合せに行っていました。
韓国企業である建築主の会社への打ち合わせに、ソウルに行ったこともあります。
サブ担当として、オフィス本社ビル、工場、機動隊庁舎など多数。
マンションの計画案やオフィスの計画案等も多数していましたので、東京を中心に、隣県の神奈川、埼玉、千葉のいろんなところに行ってました。
当時、得意先の会社のある、東京駅八重洲口や九段下などにはしょっちゅう行っていました。
 
<三田勤務時代>
三田にいた時は、三菱自動車やNECや森永など大手企業の本社が多数あり、慶応義塾大学もあり、転勤当初ということもあり、大都会を肌で感じていました。
仙田満先生の設計事務所 環境デザイン研究所へバイトで何度も東京にはきていましたが、東京は名古屋と比べ、やっぱり、なにもかもスケールが違うなあと。
事務所のすぐ前に、どまんなかに大きな穴があいた、超高層ビル「NECスーパータワー」が建っていました。
 事務所はJR田町駅より、都営三田線の三田駅のほうが近かったです。
  
<大門勤務時代>
大門へは、京成本線直通の都営浅草線で通っていました。
事務所は都営三田線御成門駅のほうが近かったです。JR浜松町駅からは少し歩きました。
大門の町は、徳川家の菩提寺である増上寺の門前町として発展してきました。とても大きなお寺です。
超高層の国際センタービル、港区役所、ダイエー本社(巨大で長大であり、軍艦ビルと呼んでました)、昭和電工本社、山と渓谷社本社、日本赤十字社、東京プリンスホテル、芝公園がありました。
東京タワーの近くにあった、建築主の会社に歩いて打合せに行ってました。
妻も、大門の別の設計事務所に勤めていた時期もあり、一緒に行きは通勤していました。
妻は、その前は、西日暮里の設計事務所に勤めていました。

<麻布十番務時代>
麻布十番に移転した当初は、地下鉄南北線や都営大江戸線が開通する直前で、最寄駅が六本木で、大門からは都営バスで通っていました。
その後すぐに、両線が開通し、大門で都営大江戸線に乗り換えて通いました。
麻布十番は、私の大学研究室の恩師である仙田満先生の設計事務所 環境デザイン研究所があり、学生時代からよくバイトに行っていたので、なじみ深い場所でした。
麻布十番といえば、高級住宅街であり、おしゃれな町です。
商店街があるのですが、地下鉄の開通前後でかなり、雰囲気が変わりました。
子供の頃に大ヒットした、「およげたいやき君」のモデルとなった浪花家総本店 があったり、串カツ屋があったりと、以前はもう少し庶民的でちょっとレトロっぽい商店街に高級店が点在しているというかんじでしたが、地下鉄開通後は歩道や車道がカラー化されてきれいになり、スターバックスができ、おしゃれなお店や飲食店が一気に増えました。
六本木ヒルズができた効果も大きく、人の流れが大きく変わりました。
麻布十番祭りは、昔ながらの地域の祭りですが、周辺に外国人が多いので、インターナショナルなかんじがして不思議でした。

事務所の窓からは、足元の首都高速を車が走りに、その向こうに東京タワーが近くに見えました。
徹夜等になり、事務所で0時を迎えると、消灯する姿をよく見ました。
学生の頃は、大学の設計室から、名古屋テレビ塔が見え、同様な経験をしています。
図面提出間際の忙しい時は設計室に寝袋を持ち込み、半ば住んでいました。
今でも、テレビなどで東京タワーや名古屋テレビ塔が映るとそれを思い出します。
次回に続く

東京事務所での設計事務所勤務時代に住んでいた2つの町の思い出・大田区南馬込・葛飾区柴又

 前回ブログの続きです。
<東京転勤当初・大田区南馬込住まい時代> 
のちの妻となる女性とつきあって1年たたないうちに、私が、東京事務所に転勤となり、遠距離恋愛となりました。
大田区南馬込に2年間、一人暮らしをしました。
都営浅草線の終点であり、始発駅である南馬込駅から、勤務先の港区の三田駅まで座って、15分くらいで楽々通勤できました。
家賃がワンルームでも85000円と高く、周辺駐車場代も高く、車はもっていかなかったです。
しょっちゅう、岡崎や名古屋、多治見に新幹線で帰ってきたので、車はこちらで乗るために必要でしたし。
 
<結婚・葛飾区柴又住まい時代>
2年くらいの遠距離恋愛ののち、1995年に、二人が26才の時に結婚しました。
式は、勤務先の青島設計が設計した、名古屋丸の内のアイリス愛知で挙げました。
結婚して、葛飾区柴又で、新婚時代の5年を過ごしました。
当時のことを書いた過去ブログがあります。なぜ「寅さん」の町、柴又に住むことになったかも書いています。
過去ブログ 
テレビ愛知の「朝の!さんぽ道」で、昔住んで いた東京の葛飾区柴又が登場!高砂、金町も
柴又の思い出 その1
柴又の思い出 その2

柴又駅から京成金町線で、ひと駅の京成高砂駅は特急が止まり、始発があるので、座って通勤できました。
帰りは夜遅いので、だいたい座れましたので、通勤地獄というものを東京であまり味わうことなく、過ごせました。
柴又は、東京の東端にあり、江戸川をはさんですぐに、千葉県です。
松戸市、市川市(ニッケコルトンプラザ)、浦安市(ダイエーショッパーズプラザ)によく買い物に行きました。
このあたりでは、松戸は都会的なイメージでした。現在、人口48万人です。
駅前に、伊勢丹などたくさんの商業ビルがあり、人も多く、にぎやかな駅前でした。
市川も48万人、浦安16万人。
船橋は市川の東隣で、人口63万人の都会です。
中核市で一番人口が多い市です。
当然ですが、首都圏は人口が桁違いに大きいです。
東京の東端の3区は、葛飾区46万人、江戸川区69万人、足立区68万人です。
当時、車には足立ナンバーを付けていました。現在、国に「葛飾ナンバー」の申請中です。
アパートの駐車場代が15000円でした。家賃2DKで、85000円。合計10万円。
探した当時、これでも安いほうでした。
東京にあこがれをもっていたので、なんとか、東京都内に住みたかったのです。
首都圏の家賃は、西高東低で、西のほうに住んだら、とんでもなく、遠い所から通わなければならなかったかもしれないです。
首都圏では通勤時間が1時間半とか2時間は当たり前です。
柴又では、ドアTOドアで1時間かからずに通勤できました。
 
愛知県では、岡崎市38万人、豊田市42万人、豊橋市37万人の3市は、中核市です。
人口は一番多い豊田市でも42万人ですが、市域が広すぎるので、実態の都市規模(都会感ともいうべきか)としては、旧豊田市の範囲の人口規模都市です。岡崎も同様に、旧岡崎市の範囲の人口規模都市です。
一宮は38万人と、人口は多いですが、中核市ではありません。
尾西市と木曽川町と合併し、尾張では市域が広いです。

少し北へいくと、埼玉県です。
柴又の次の駅の金町の北にある大きな水元公園によく行きましたが、対岸は埼玉県の三郷市(みさとし)です。人口14万人。
東京外環自動車道の三郷中央インターが近くでした。
外環道は、関東をぐるっと、環状にまわる高速道路です。
都心から放射状に延びる高速道路どうしをつなげる重要な役割があり、開通時の効果が高いです。
引っ越しから、18年もたっても、三郷南インターが南へ1つ延伸しただけで、なかなか工事が進まないなあ。

(後日、追記ブログ)
2018年5月15日のYahoo!ニュースで、外環道がついに、東関東自動車道、首都高速湾岸線の高谷JCT(市川市)まで、6月2日に開通すると報道されました。
東関東自動車道、首都高速湾岸線の少し北にあり、東西に並走する、京葉道路とは、交点に「京葉JCT」が設けられ、京葉道路とも相互通行可能になります。
1969年に計画決定され、このたびの開通により、東京都練馬区の大泉JCTから千葉県市川市の高谷JCTまでつながり、これで、全体計画の60%がようやく開通となりました。
大泉JCTから西がまだまだかかりそうです。
東名高速までつながると、高速道路ネットワークが格段によくなります。
来月開通予定…東京外環道・千葉区間を公開

 東京外環自動車道(三郷南~高谷JCT)

次回に続く。東京事務所での設計事務所勤務時代の3つの勤務地の思い出・三田(JR田町)、大門(御成門・JR浜松町)、麻布十番
 

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