東京事務所での設計事務所勤務時代の港区の3つの勤務地の思い出・三田(JR田町)、大門(御成門・JR浜松町)、麻布十番
前回ブログの続きです。
7年間の東京事務所勤務のうち、事務所移転が2回あったので、3か所の勤務地に通いました。
三田(JR田町)、大門(御成門・JR浜松町)、麻布十番です。
いずれも港区内で、東京タワーが近くに見えました。
東京事務所では、マンション、メーカー企業寮、自動車メーカー研究所、自動車メーカー労働組合会館、写真ギャラリーのある本社オフィスビルなどをメイン設計担当しました。
建設地は、港区、台東区、新宿区、東京都日野市、神奈川県川崎市、千葉県印西市などです。
日野市や印西市の千葉ニュータウンは、現場監理に通うのが、かなり遠かったです。
静岡県裾野市の建築主の会社へは、新幹線でたびたび打合せに行っていました。
韓国企業である建築主の会社への打ち合わせに、ソウルに行ったこともあります。
サブ担当として、オフィス本社ビル、工場、機動隊庁舎など多数。
マンションの計画案やオフィスの計画案等も多数していましたので、東京を中心に、隣県の神奈川、埼玉、千葉のいろんなところに行ってました。
当時、得意先の会社のある、東京駅八重洲口や九段下などにはしょっちゅう行っていました。
<三田勤務時代>
三田にいた時は、三菱自動車やNECや森永など大手企業の本社が多数あり、慶応義塾大学もあり、転勤当初ということもあり、大都会を肌で感じていました。
仙田満先生の設計事務所 環境デザイン研究所へバイトで何度も東京にはきていましたが、東京は名古屋と比べ、やっぱり、なにもかもスケールが違うなあと。
事務所のすぐ前に、どまんなかに大きな穴があいた、超高層ビル「NECスーパータワー」が建っていました。
事務所はJR田町駅より、都営三田線の三田駅のほうが近かったです。
<大門勤務時代>
大門へは、京成本線直通の都営浅草線で通っていました。
事務所は都営三田線御成門駅のほうが近かったです。JR浜松町駅からは少し歩きました。
大門の町は、徳川家の菩提寺である増上寺の門前町として発展してきました。とても大きなお寺です。
超高層の国際センタービル、港区役所、ダイエー本社(巨大で長大であり、軍艦ビルと呼んでました)、昭和電工本社、山と渓谷社本社、日本赤十字社、東京プリンスホテル、芝公園がありました。
東京タワーの近くにあった、建築主の会社に歩いて打合せに行ってました。
妻も、大門の別の設計事務所に勤めていた時期もあり、一緒に行きは通勤していました。
妻は、その前は、西日暮里の設計事務所に勤めていました。
<麻布十番務時代>
麻布十番に移転した当初は、地下鉄南北線や都営大江戸線が開通する直前で、最寄駅が六本木で、大門からは都営バスで通っていました。
その後すぐに、両線が開通し、大門で都営大江戸線に乗り換えて通いました。
麻布十番は、私の大学研究室の恩師である仙田満先生の設計事務所 環境デザイン研究所があり、学生時代からよくバイトに行っていたので、なじみ深い場所でした。
麻布十番といえば、高級住宅街であり、おしゃれな町です。
商店街があるのですが、地下鉄の開通前後でかなり、雰囲気が変わりました。
子供の頃に大ヒットした、「およげたいやき君」のモデルとなった浪花家総本店 があったり、串カツ屋があったりと、以前はもう少し庶民的でちょっとレトロっぽい商店街に高級店が点在しているというかんじでしたが、地下鉄開通後は歩道や車道がカラー化されてきれいになり、スターバックスができ、おしゃれなお店や飲食店が一気に増えました。
六本木ヒルズができた効果も大きく、人の流れが大きく変わりました。
麻布十番祭りは、昔ながらの地域の祭りですが、周辺に外国人が多いので、インターナショナルなかんじがして不思議でした。
事務所の窓からは、足元の首都高速を車が走りに、その向こうに東京タワーが近くに見えました。
徹夜等になり、事務所で0時を迎えると、消灯する姿をよく見ました。
学生の頃は、大学の設計室から、名古屋テレビ塔が見え、同様な経験をしています。
図面提出間際の忙しい時は設計室に寝袋を持ち込み、半ば住んでいました。
今でも、テレビなどで東京タワーや名古屋テレビ塔が映るとそれを思い出します。
次回に続く。





