Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

今週末の土日に岡崎石工団地で団吉くんまつり開催!

愛知県岡崎市の名産品といえば、石製品です。
日本三大石材産地で、全国一の生産高で、技術力もトップです。
他は茨城県の真壁石、香川県の庵治石です。日本石材工業新聞社団地内にあります。
石の都岡崎は良質な御影石が産出し、岡崎城築城の際に、大阪から石工を呼び寄せ、移住させたことに始まり、通産大臣指定伝統工芸品に選ばれています。
今週末4月21・22日に岡崎市上佐々木町の岡崎石工団地で、団吉くんまつりがおこなわれます。
石工団地は、県道岡崎刈谷線の両脇です。
もとは、市の中心部にあった「石屋町」が始まりで、この地に集団移転しましたが、現在も石材店が多くあります。
石材業界唯一の専門紙である、日本石材工業新聞社が団地内にあります。

団吉くんは、岡崎石工団地協同組合のゆるキャラです。「石丸団吉」という名前です。
岡崎石工団地協同組合の公式サイトでも、団吉くんまつりのPRをしています。
岡崎矢作石工団地 団吉くん フェイスブックページ
岡崎おでかけナビ  イベントページ「団吉くんまつり」  

岡崎石工協同組合会館に、昨年放送のTV「鉄腕DASH!」の岡崎特集時にTOKIOや岡崎の石職人たちがつくった、水切り石の展示とともに、団吉くんやオカザえもんや武将家紋のコースターがありました。

 

TOKIOの山口達也さん↑がつくった水切り石↓

団吉くんは、オカザえもんとともに、矢作川で水切り世界記録挑戦に挑む元中日のエース山本昌さんの応援にかけつけていました。

「林修の歴史ミステリー」というTV番組で、「徳川埋蔵金を探せ」という企画で、岡崎の石職人たちが協力しに、群馬県に行きました。
岡崎矢作石工団地 団吉くん フェイスブックページ内のこちらで動画が見られます。

昨年放送された、TV「ロンブー淳のスマホ旅」の岡崎特集でも、放送されなかったものの、石工団地に取材にきたそうです。

奥は、展望台みたいになっていて登れる、巨大な団吉くん。↑↓
淳のように、頭の上に乗ったみたいな感じの写真が撮れます。
手前はカラフルなモザイク石張り。かわいいです。

林修先生の番組以外はリアルタイムで見ました。
CDがありました。「ハツレ!団吉くん」 
動画を見つけました。
過去の団吉まつりで、団吉くんと、子供たちが踊っています。HaginoDanceClub【ハツレ!団吉くん!】   
振付のしかたを教えてくれるバージョンもあります。HaginoDanceClub【ハツレ!団吉くん!】振付解説

団地内に、のぼりがたくさん立っていました。50社もの石屋が並びます。

団吉くんまつりでは、「鉄腕DASH!]ロケ地めぐりや、水切りイベントやMY水切りをつくろうという企画などもりだくさんです。

毎年、秋には岡崎公園近くの乙川沿いで、岡崎ストーンフェアが開催され、行ったことがあります。
次回に続く

 

明智光秀の娘・細川ガラシャ 足利(広沢)義実の三兄弟 細川氏は細川郷(岡崎市)・仁木氏は仁木郷(岡崎市)・戸賀崎氏は戸ヶ崎村(西尾市)の発祥

前回ブログの続きです。
明智光秀が正室の妻木煕子(つまき ひろこ)(妻木城(土岐市妻木町)を居城とする妻木氏)との間にもうけた娘・珠は、細川忠興と結婚し、洗礼を受け、キリシタンの細川ガラシャ(洗礼名)となります。
 石田三成が家康打倒の兵を挙げるとガラシャは人質になることを拒んで自害しました。
京都の大徳寺の高桐院(細川氏の菩提寺)にある細川ガラシャと忠興の墓を参ったことがあります。

細川氏は、守護大名・戦国大名・外様大名で熊本城主、後に総理大臣を輩出します。
細川氏の発祥は、三河国額田郡細川郷(現・岡崎市細川町周辺)で、国道248号岡崎大橋を豊田へ渡る手前脇に細川城がありました。
うちの事務所の近くです。
熊本城が2年前の4月14日の熊本地震で崩壊する前の姿を、見学したことがあります。
岡崎と熊本のゆかりを感じます。
細川氏の祖は、細川義季です。
足利義季が細川郷に入り、細川次郎を名乗りました。
 
細川次郎の兄は仁木実国です。
足利実国が細川郷の隣の三河国額田郡仁木郷(現・岡崎市仁木町周辺)に入り、仁木太郎を名乗りました。
三河国守護大名の仁木氏(につきし)の祖となり、仁木郷には、仁木城がありました。

細川次郎の弟は戸賀崎義宗です。
足利義宗が、三河国幡豆郡戸ケ崎村に入り、戸賀崎氏の祖となり、西尾市戸ケ崎町城山に戸ケ崎城がありました。
その子、荒川満氏は荒川氏(前期荒川氏と呼ぶ)の祖となり、荒川氏は南北朝時代には2カ国の守護を務め、室町時代には奉公衆として将軍に近侍しています。
後期荒川氏と呼ぶ荒川氏は、東条吉良家からの分家です。
祖は荒川義弘で前期荒川氏の名跡を継ぎ、「荒川氏」を名乗りました。
戸ケ崎村の隣の三河国荒河村(現・西尾市八ツ面町)の荒川城を居城としました。
  
三河守護代の西郷氏は、土岐頼忠の子の西郷頼音が任じられたのが始まりとされています。
西郷氏は、岡崎城を築城しましたが、のちに服属し、家康の家臣となりました。
西郷義勝の妻は、のちに徳川家康の側室西郷局(お愛)となり、二代将軍の徳川秀忠と四男・松平忠吉(東条松平家4代(養子となり継ぐ)、尾張国清洲藩主、井伊直政の娘婿でもある)を産んでいます。
東条松平家は、松平宗家5代目・松平長親の三男・義春を氏祖とし、西尾市吉良町の東条城を居城としました。
もとは東条吉良氏(吉良氏は足利氏の名門一族。西条吉良氏と東条吉良氏に分裂)の居城です。
吉良氏の菩提寺の華蔵寺に行ったことがあります。
吉良氏一族の墓と、赤穂事件(忠臣蔵で有名)で無念にも、葬られてしまった吉良義央の墓があります。
過去ブログ。
西尾市吉良町の建築物見学 その1 吉良家の菩提寺「華蔵寺」
  
隣には東条吉良氏の菩提寺の花岳寺があり、行きました。
本堂が国の登録有形文化財です。

西条吉良氏の居城は、西尾城です。
 
最近、西尾市役所に行ったら、「忠臣蔵をNHK大河ドラマに」という誘致ポスターが張ってありました。
芝居やドラマ等では、悪役にされてしまっていますが、非常に残念なことであり、実際には、治水事業として黄金堤を築いたり、領民思いの名君であり、地元では、「吉良さん」と呼ばれ、尊敬の念が強く、慕われています。
吉良義央が敵役ではない、吉良氏側から見た、新しい忠臣蔵を見てみたいものです。

明智光秀の正室・妻木煕子 東濃地方の妻木城(土岐市妻木町)を居城とする妻木氏(明智光秀の与力)・子孫に近代建築家の妻木頼黄

前回ブログの続きです。
家族の絆を軸にドラマは展開されるとのことなので、妻や子供たちにも注目です。 
明智光秀は大変な愛妻家で、最初の正室が亡くなったあと、迎えた妻は、正室の妻木煕子(つまき ひろこ)だけとし、側室はとらなかった説が有力です。
煕子の父・広忠は、織田信長に仕えて、明智光秀の与力となり、在地土豪の妻木城主でした。
妻木城は岐阜県東濃地方の土岐市妻木町にあり、私の母の出身地であり、住んだことがあります。(小6・中・高校2年まで)
つまぎちょう 「ぎ」とにごります。
妻木城は標高409mの山頂に築かれた山城で、建造物は現在ありませんが、石垣や曲輪、土塁等の遺構が残っています。
岐阜県史跡。
妻木城の山麓の北にあった領主御殿・家臣屋敷である妻木城士屋敷の遺構が残っています。岐阜県史跡。
近くにある、古刹の崇禅寺に移築された門があり、妻木城の歴代城主の墓や位牌があります。
崇禅寺当地域屈指の大寺として隆盛しました。
私の母の実家の菩提寺で、祖父の葬式をしました。
初代妻木城主の土岐頼重が菩提寺として開山しました。土岐市妻木町上郷55-1

妻木城は南北朝時代に、土岐氏が築城したといわれ、以降は、明智氏の所領でしたが、後には明智氏一族となる妻木氏の居城となりました。
近くの八幡神社では、秋祭で、流鏑馬(やぶさめ)が行われます。
馬に乗った小学生たちが、神社の坂を一気に駆け上がる勇壮な祭りで有名です。
馬に乗った子供たちは町のヒーローでした。
いとこの子供(うちの子供たちにとってはいとこ)が最近、馬に乗りました。

妻木氏の子孫に、明治時代の官庁営繕組織を確立した建築家の妻木頼黄(つまき よりなか)がいます。
工部大学校造家学科(のちの東大建築学科)に入学し、ジョサイア・コンドルに学びます。
東京駅を設計した辰野金吾の後輩に当たります。
東京府、(内閣)臨時建築局、大蔵省に勤務し、工手学校(現・工学院大学)の教授となります。
主な設計。
半田市の現 「半田赤レンガ建物」であるカブトビール工場(丸三麦酒 醸造工場)
横浜市の現「横浜赤レンガ倉庫」である横浜新港埠頭倉庫
日本橋

次回に続く
 

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