明智光秀の正室・妻木煕子 東濃地方の妻木城(土岐市妻木町)を居城とする妻木氏(明智光秀の与力)・子孫に近代建築家の妻木頼黄
前回ブログの続きです。
家族の絆を軸にドラマは展開されるとのことなので、妻や子供たちにも注目です。
明智光秀は大変な愛妻家で、最初の正室が亡くなったあと、迎えた妻は、正室の妻木煕子(つまき ひろこ)だけとし、側室はとらなかった説が有力です。
煕子の父・広忠は、織田信長に仕えて、明智光秀の与力となり、在地土豪の妻木城主でした。
妻木城は岐阜県東濃地方の土岐市妻木町にあり、私の母の出身地であり、住んだことがあります。(小6・中・高校2年まで)
つまぎちょう 「ぎ」とにごります。
妻木城は標高409mの山頂に築かれた山城で、建造物は現在ありませんが、石垣や曲輪、土塁等の遺構が残っています。
岐阜県史跡。
妻木城の山麓の北にあった領主御殿・家臣屋敷である妻木城士屋敷の遺構が残っています。岐阜県史跡。
近くにある、古刹の崇禅寺に移築された門があり、妻木城の歴代城主の墓や位牌があります。
崇禅寺は当地域屈指の大寺として隆盛しました。
私の母の実家の菩提寺で、祖父の葬式をしました。
初代妻木城主の土岐頼重が菩提寺として開山しました。土岐市妻木町上郷55-1
妻木城は南北朝時代に、土岐氏が築城したといわれ、以降は、明智氏の所領でしたが、後には明智氏一族となる妻木氏の居城となりました。
近くの八幡神社では、秋祭で、流鏑馬(やぶさめ)が行われます。
馬に乗った小学生たちが、神社の坂を一気に駆け上がる勇壮な祭りで有名です。
馬に乗った子供たちは町のヒーローでした。
いとこの子供(うちの子供たちにとってはいとこ)が最近、馬に乗りました。
妻木氏の子孫に、明治時代の官庁営繕組織を確立した建築家の妻木頼黄(つまき よりなか)がいます。
工部大学校造家学科(のちの東大建築学科)に入学し、ジョサイア・コンドルに学びます。
東京駅を設計した辰野金吾の後輩に当たります。
東京府、(内閣)臨時建築局、大蔵省に勤務し、工手学校(現・工学院大学)の教授となります。
主な設計。
半田市の現 「半田赤レンガ建物」であるカブトビール工場(丸三麦酒 醸造工場)
横浜市の現「横浜赤レンガ倉庫」である横浜新港埠頭倉庫
日本橋





