Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

岡崎・信光明寺に参詣3 家康公先祖の松平家三代の墓所

前回のブログの続きで、信光明寺です。
裏山には家康公先祖の松平家三代の墓所があります。
階段を上がったところが墓所であり、囲む塀が壊れかけていますが、かえって歴史を感じさせます。


左から、初代親氏、二代泰親、三代信光の墓が並びます。

なぜか、西国八十八所の八番 熊谷寺の弘法様と千手観世音菩薩(だと思う)

近くには、三代信光の居城だった、岩津城址があるので、行ってみたいと思います。
次回に続く。近くの岩津第1号古墳へ。

 

岡崎・信光明寺に参詣2 重要文化財の観音堂 

前回のブログの続きで、信光明寺です。
手水舎(左)と観音堂(正面)。手前に、芭蕉天神の石碑があります。病気平癒、学門の神様です。
芭蕉天神は以前は、岩津天満宮に祀られていましたが、明治初期の廃仏稀釈で、元の信光明寺に戻されました。
芭蕉とは、松尾芭蕉のことではないです。(笑)
神話的由緒としては、芭蕉の葉に乗った天神様(菅原道真)が岩津山に降りてきたというものです。
伝承的由緒としては、信光明寺の一誉上人が、1795年に江戸の将軍へ年頭御礼に向かう途中の駿河国で病気になり、芭蕉(地名)にあった天神に祈願したところ、治り、無事に役を果たして帰ってこられたことによるものです。

観音堂(芭蕉天神本地)は浄土宗寺院としては、日本最古の禅宗様の仏堂であり、重要文化財です。

屋根は入母屋造、こけら葺。屋根の軒先のそりの深さが迫力があり、美しいです。

放射状に設けられた扇垂木。
 

観音堂は創建時には、法堂と呼ばれていました。釈迦如来立像があります。
お寺の御本尊は十一面観世音菩薩です。


花頭窓は禅宗様式の大きな特徴です。

以前参詣した、岡崎市旧額田町の天恩寺の仏殿(重要文化財 足利尊氏創建 家康公見返りの松)に似ています。
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次回に続く

岡崎・信光明寺に参詣1 岩津天満宮のルーツ

前回のブログの岩津天満宮(岩津天神)の参詣記の続きで、岩津天満宮(岩津天神)の近くの、信光明寺(しんこうみょうじ)の参詣記です。
岡崎観光きらり百選です。岡崎市岩津町字東山47(岩津保育園隣)

岩津天満宮は、信光明寺の観音堂に、芭蕉天神として、祀られていた、神体(菅原道真公)を1759年に岩津山頂に社殿を整え、移したことから始まります。
鎌倉の荏柄山天満宮(荏柄天神社)の御分霊です。
なので、「岩津天神のみでは片まいり」と、岩津天満宮からの道案内板に書かれていました。

徳川家の先祖である、松平家の三代・松平信光は、松平家の発祥地である豊田市松平郷から、岩津天満宮の近くの岩津城に本拠を移します。
信光明寺は信光が1451年に創建し、「信光」の名前が入っています。
父(泰親)と祖父(初代親氏)の菩提を弔うために建てたもので、3人の墓もあります。
武田信玄の率いる北条早雲に攻められ、観音堂と中門以外が全て焼失しますが、家康が再建し、その後も幕府の庇護を受けました。
徳川家光の先祖菩提所です。
室町時代の後土御門天皇の勅願所です。
参道の石垣や塀は歴史を感じさせます。

総門は薬医門という形式です。手前の2本の本柱の背後だけに控え柱があります。
手前の下乗石は、この門の先は、聖地なので、どんな高貴な者でも乗り物からおりて、自分で歩いて参拝しなさいということを意味しています。
奥に見える中門(唐門)との間に、岩津保育園があり、入れないので、参道を戻り、南迂回路で境内に入ります。
うちの子供たちが通った、大樹寺小学校も、大樹寺(松平家・徳川家の菩提寺)の総門と山門との間にありますので、似たような位置関係です。
 境内手前に案内板があります。

鐘楼(立派な鐘があります)と観音堂。

中門(唐門)の建築形式は向(むかい)唐門(正面と背面に唐破風屋根)の薬医門です。
創建当時からあります。

本堂内に芭蕉天神が祀ってあります。
 

本堂前の狛犬は、芭蕉天神のものです。岩津天満宮の狛犬と似ています。

法然上人(曹洞宗開祖)三河二十五霊場の三番です。

慈母観音

 次回に続く

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