Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

岡崎で開催された博覧会1 第23回 花と産業科学大博覧会

前回のブログの続きです。
岡崎で過去に開催された、1963年の第23回 花と産業科学大博覧会について、岡崎市HPから以下を転記。

花と産業科学大博覧会(岡崎博)は岡崎地区の過去・現在・未来の姿を紹介するとともに、観光・産業・文化など各般にわたって近代日本の姿を一堂に収め、地域経済の伸長に役立てることを目的として開催したものである。市が戦災復興事業に一段落をつけた昭和38年(1963)4月1日から5月10日までの40日間、岡崎公園及びその周辺で開催され、施設の概要は以下の通りであった。
▼第1会場(国道一号を挟んで岡崎公園の北側)=国鉄館・原子力館・郷土歴史館・愛知県総合開発館・観光館・農業館・農業機械館・電波と電信電話館・消防館など

▼第2会場(岡崎公園)=自衛館・自衛館屋外展示場・児童館・自動車館・繊維化学館・優良物産館・インスタント館・野外演芸場・児童遊園地など

▼第3会場=岡崎城
 第1会場から第2会場への移動のため、国道一号上に日本で最初にかけられた陸橋を連日多くの観覧者が行きかった。会期中は天候不順にも関わらず、県内外から80数万人の観覧者を迎え、各館に陳列された地元工業製品・物産は、観光の岡崎と将来工業都市を標榜する本市の姿を広く天下に紹介する契機となった。

次回に続く

2018.03.21「建築
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5つの国際博覧会 ・多数の地方博覧会

前回のブログの続きです。
これまで日本で、国際博覧会は、5つ開催されました。
日本万国博覧会(大阪万博):1970年 大阪千里丘陵(吹田市) 77か国(日本を含む) 4国際機関 6,422万人
沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博):1975~76年 沖縄県本部町 36か国(日本を含む) 3国際機関 349万人
国際科学技術博覧会(つくば万博):1985年 茨城県筑波市 48か国(日本を含む)37国際機関 2,033万人
大阪の国際花と緑の博覧会(花の万博、花博):1990年 鶴見緑地(大阪府鶴見区・守口市) 
                            
  83か国(日本を含む) 37国際機関,18園芸関係等の国際団体 2,312万人
2005年日本国際博覧会(愛・地球博、愛知万博):2005年 愛知県長久手町(現 長久手市)・瀬戸市・豊田市
                               121か国(日本を含む),4国際機関  2204万9544人                        

大阪万博の入場者数がものすごいことがわかります。愛知万博の3倍近いです。
国民の半分が行った計算になります。
世界的にも、上海万博(7309万人)に抜かれるまで、歴代1位でした。
参考:ミラノ万博(2015年)2150万人
大阪万博の会場の広さは、愛知万博の倍です。

このうち、花博と愛知万博に行きました。
花博は、安藤忠雄など、国内外の著名な建築家も、パビリオンやフォリーと呼ばれる建物を設計しました。
 
愛知万博の建築は、大阪万博に比べれば、箱型をベースものが多く、つまらないものが多かったです。特に外国館。
3R(リデュース、リユース、リサイクル)思想の環境博だったので、やむをえないですが。
でも、展示やイベントや食事など楽しかったので、5回行きました。いい思い出です。

万博が2025年にまた、大阪で開催されたら、行きたいなあと思います。

地方博は、以下のところに行きました。1980年代後半は博覧会ブームで、全国いたるところでやってました。
ぎふ中部未来博:1988年 岐阜市
名古屋デザイン博覧会:1989年 名古屋城会場、白鳥会場、名古屋港会場の3会場
横浜博覧会(YES’89):1989年 横浜市みなとみらい地区
しずおか国際園芸博覧会(浜名湖花博):2004年 浜松市

岡崎市で開催された博覧会もあります。
岡崎市制70周年記念博覧会(葵博・岡崎’87):1987年 
は行ってないです。
 葵博の前にも、岡崎では博覧会が開催されています。
花と産業科学大博覧会(岡崎博):1963年

デザイン博以外にも、名古屋で開催された博覧会もあります。博覧都市NAGOYA
名古屋博覧会:1874年
第10回関西府県連合共進会:1910年 鶴舞公園
御大典奉祝名古屋博覧会:1928年 鶴舞公園
名古屋汎太平洋平和博覧会:1937年 臨港地帯(港区)
興亜大博覧会:1939年
名古屋城博:1984年

豊橋で開催された博覧会もあります。
豊橋産業文化大博覧会:1954年
次回に続く
 

大阪万博会場から各地に移築された博覧会パビリオン建築 

前回のブログの続きです。
大阪万博閉会後には、全国各地にパビリオンが移築されました
万博閉幕後のパビリオン移設先
四日市にはオーストラリア館が移築されました。
シドニー港と四日市港の姉妹港提携 (1968年) のシンボルとして、オ
ーストラリア記念館となりました。
大きな円形屋根を宙づりにした奇妙なデザインの展示館でした。
日本の画家葛飾北斎の「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏の富士」に描かれた波と、東京の寺院で見た青銅製蓮台からヒントを得て設計されたといわれ、「恐竜が空飛ぶ円盤をくわえた形」など、さまざまなものを連想させています。

オーストラリア関連資料、愛・地球博(愛知万博)で展示された巨大なカモノハシの模型が主要な展示物でした。

 円形ホールは多目的貸ホールとしても使われていました。

万博会場にあった時のオーストラリア館

しかし、2014年に解体されてしまいました。解体のいきさつはwiki
四日市の裁判所の設計をしたので、当時、なんども四日市には行ってましたが、ここに行ったことはなかったです。
行っとけばよかったなあ。
見学した方のサイト あの万博この万博の遺物と遭遇-オーストラリア記念館

フジパンロボット館は、当時の愛知青少年センター(現・愛・地球博記念公園(モリコロパーク))に移築されましたが、その後、老朽化のため1995年に解体されました。
その外観は一見、怪獣か昆虫を想像させ、子どもたちが自由な夢を描くことのできる展示館でした。
鉄骨造のアーチを並列した構造で、テントの屋根と外装は、黒と黄色のシマ模様でした。

万博会場にあった時のフジパンロボット館。

しかし、展示されていたロボットたちは、跡地に建てられた、愛知県児童総合センターでその姿を見ることができます。
ロボットは見たことありますが、解体された、移築パビリオンは見たことがないです。
ロボットを見学した方のサイト [手塚治虫]手塚治虫プロデュース「フジパンロボット館」のロボットの一部は現在も活躍中!

カンボジア館は神戸市に移築され、広陵パビリオン(広陵町集会所)と呼ばれ、残っています。
神戸市北区に万博EXPO70の貴重遺産が!~広陵パビリオン~
高さ12mの黄色い鋭角の大屋根が印象的なパビリオンは、伝統文化とモダニズム建築を融合した『新クメール建築』と呼ばれる建造物。新クメール様式の建築はカンボジア国内はもちろんアジア圏内でも現存数が減っており、広陵パビリオンはとても希少な建物になっているそうです。
大阪万博「カンボジア館」集会所として余生 神戸
 

万博会場にあった時のカンボジア館
大屋根は60度の急勾配、中央部が二重になった切妻で、2階建て。屋根はイエロー・オレンジ色のスレートぶき、ふちはブルーに塗られ、棟や軒先にはカンボジアで作られた装飾品の付いている印象的な建物でした。

現存するのは、他には、以下の2館だけです。
カナダの大学図書館になったサンヨー館ブリティッシュコロンビア大学アジア図書館
日本の伝統を象徴する民家の様式を取り入れ、単純で力強い線を近代的に生かしていた。

万博会場にあった時のサンヨー館。

岡山陸上自衛隊駐屯地のミュンヘン市館
陸上自衛隊(日本原駐屯地創設50周年記念行事)ミュンヘン館   動画
万博会場にあった時のミュンヘン市館

切妻屋根と白い壁が印象的な、幅 27メートル78、長さ 62メートル88 の長方形の展示館で、ビヤホールも兼ねた“いこいの展示館”でした。
建物は鉄骨造ですが、ババリア地方の市場を型どって、木造建築の感じを出していました。
まず、木製ステイン仕上げの入口は観音開き扉5 組でできており、その上は木製手すりのついたベランダ。
白い粗面ペイント仕上げの外壁の小窓の木部はラワンステイン仕上げ、窓飾りや軒飾りがふんだんにあしらわれていました。

カナダは遠いし、陸上自衛隊駐屯内には、なかなか入れないでしょうから、広陵パビリオンが、万博公園以外で、見やすい唯一のパビリオンになります。

次回に続く

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