Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

大阪万博記念公園の博覧会建築の見学2 EXPO’70パビリオン(旧鉄鋼館)・日本民芸館 他

前回のブログの続きです。
EXPOタワーの模型 菊竹清訓の設計 他の代表作は、東京江戸博物館。

ディテール。メタボリズム建築。

日本館(左)とアメリカ館(右)

万博閉会後、ほとんどの博覧会建築は解体されましたが、万博公園内に残されたものもあります。
EXPO’70 パビリオン旧鉄鋼館


大阪日本民芸館(日本民芸館)

その他、建物以外にも、池の噴水やエクスポタワーのパーツの一部は、万博遺産 のサイトをご覧ください。
次回に続く

大阪万博記念公園の博覧会建築の見学1 オブジェであり、建築物である「太陽の塔」

前回のブログの続きです。万博記念公園の太陽の塔の内部が、3月19日に48年ぶりに公開されました。
太陽の塔オフィシャルサイト
1年くらい前に、大阪旅行に行った時に、万博記念公園で、EXPO’70 パビリオン(旧鉄鋼館)を見学しましたが、万博を紹介する展示がいいです。当時の博覧会建築群は、画期的で未来的なデザインのものばかりで、今見てもすごいです。
当時のパビリオン(展示館)のご紹介はこちら

 会場全体模型。奈良の東大寺にかつてあった、七重の塔もあります。写真右端にテーマ館と太陽の塔。

中央付近にあるのが、テーマ館の屋根が飛び出た、太陽の塔。


  EXPO’70パビリオン 大阪万博公式メモリアルガイドを買ってきました。

すごい巨匠建築家たちが、若かりし頃、こぞって、博覧会建築を設計していました。
こちらのサイトに設計者リストがあります。

太陽の塔は、テーマ館のお祭り広場の大屋根にあけられた巨大な穴から、飛び出ていました。

テーマ館を設計したのは、丹下健三で、他の代表作は、国立代々木体育館(東京オリンピック開催のため建設)や東京都庁舎など世界で活躍した建築家です。

太陽の塔の背面側には大階段があります。開会式などの式典の席にもなっていました。

お祭り広場


 正面側。
「腕」が屋根とくっついているのには理由があります。
地下から、太陽の塔の中に入った見学者は、エスカレーターで内部の展示を見ながら、のぼり、最後に、「腕」の中のエスカレーターで屋根直下レベルにあるリング状の見学者通路に出れるようになっていたのです。

太陽の塔は単なるオブジェではなく、テーマ館の一部である「建築」なのです。
 
池越しの太陽の塔の背面。いかに大きいかわかると思います。青い噴水「星雲」はイサム・ノグチ作で、万博遺産です。

テーマ館お祭り広場の屋根のフレームも一部残されています。下に見える、園内を走っている遊覧列車にも乗りました。

 
私は日本万国博覧会(大阪万博)(1970年)には、行ってないです。
当時1歳でしたので、行ったとしても記憶にないでしょう。
タイムマシンがあったら、大阪万博に行きたいです。
次回に続く

 


 

 

大阪万博記念公園「太陽の塔」の内部公開開始

1年くらい前に、大阪へ家族旅行をしました。
ユニバーサルスタジオジャパン、あべのハルカス、新世界、エクスポシティ、万博記念公園へ。
万博記念公園にある、岡本太郎 作の「太陽の塔」の「外観」を見ました。

もっと以前は、単なる大きいオブジェだと思っていましたが、内部に展示空間がある、建築物でもあります。
テーマ館の一部として建てられました。
当時、耐震・再生改修工事が始まるので、現況の内部の状態を見られる、最後の見学会を開催している特別公開日がありました。
予定が合わなかったので見られませんでしたが、こちらの、内部再生前の太陽の塔360°映像 のサイトで内部をぐるりとマウスで動かして、見ることができます。
太陽の塔 内部再生事業について


その後、工事が終わり、なんと、内部が3月19日に公開されました。行ってみたいな。
予約が必要ですが、すでに7月末まで埋まっています。太陽の塔オフィシャルサイト

芸術が爆発しています!

今回地下を増築し、4つめの「顔」である「地底の太陽」も見られるようになりました。

太陽の塔が本日オープン!内部を一挙公開
上記サイトは期間限定公開で、その後、会員しか見れなくなってしまうので、記事を以下に転記。

「太陽の塔」が、1年以上の改修・増築工事を終えて本日3月19日から一般公開となった。その内部は、避難安全性を確保するため30分ごとに最大80人までしか入れず、予約は既に5月頃までいっぱいだという。新しくなった「太陽の塔」を、公開直前に取材撮影した写真やイラスト、1970年大阪万博当時の写真なども交えながら3回にわたって紹介する。第1回目の本記事は、塔内部の展示空間を中心に解説する。
太陽の塔は、大阪府吹田市の万博記念公園に立つ。芸術家・岡本太郎(1911~96年)がデザインし、大阪万博でもひと際注目を浴びたモニュメントだ。万博開催後、75年に永久保存が決まったものの、通常時は人が立ち入らない「工作物」として残された。

 大阪府は太陽の塔を一般公開するため、約13億8800万円の費用を投じて、耐震補強を施すとともに地下に展示空間を増築した。改修設計は昭和設計、施工は大林組が担当した。法規上の整理や、図面など改修内容の詳細は1月10日に既報したので参照してほしい。

 新たに設けた増築部分は、太陽の塔の外観を保存するため、芝生の地下につくられた。塔の足元には歩道を整備したが、離れた場所から見ると歩道は芝生の丘に隠れて見えないつくりとなっている。
唐突だが、太陽の塔には4つの「顔」があったことをご存じだろうか。南面の頭に「黄金の顔」、胴に「太陽の顔」、北面の背中に「黒い太陽」、合計3つは外からでも確認できる。
それらとは別に、地下にもう1つ金色の「地底の太陽」が設置されていた。今回の一般公開を機に、万博当時の資料などを基に「地底の太陽」が再現され、増築した展示スペース内で見られるようにした。

「生命の樹」を階段からじっくり鑑賞

 入り口から増築部の展示スペースを抜けて、いよいよ既存の塔内に入る。塔内の吹き抜け空間を縦に貫く高さ約50mの「生命の樹」は圧巻だった。これは生命の根源から未来に向かって吹き上げる偉大な生命力を表したものだという。

 大阪万博当時、この吹き抜け空間に4基のエスカレーターが架かっていた。ただ、来館者が多いので次々と人を移動させなくてはならず、地下から最上部までの鑑賞時間はわずか約5分だったという。
 塔全体の重量を軽くして耐震化を図るため、エスカレーターを撤去して階段へと変更した。エスカレーターを架けていた片持ちスラブに階段を架け替えたので、位置関係は万博当時とあまり変わらない。改修設計を担当した昭和設計建築設計部の久家一哲主査は、「生命の樹にあるオブジェに合わせて階段の踊り場を設け、よりじっくりと鑑賞できるようにした」と説明する。

「再現にはシミュレーション技術が不可欠だった」

 耐震改修と展示物の保存を両立させることは容易ではなかった。耐震改修では、塔の胴体部の壁内側に約20cmコンクリートを増し打ちしている。そこで難しかったのが、壁内側にずらりと並んでいた約1100枚の「拡散板」の再現だ。音響を拡散させる機能のほか、赤く波打つパターンは意匠上も重要な役割を持たせている。

 塔は根元から上に向かってすぼまった形をしているので、板のサイズは5種類ある。コンクリートを増し打ちするなど改修するため、これらはいったんすべて取り外す必要があった。外しながら1枚ずつ番号を振り、改修後は同じ場所、同じ順に戻した。「40年以上もの歴史性を重視し、色ムラなどもそのまま残すことにこだわった」と久家主査は言う。

ただし、増し打ちによって壁面の表面積が小さくなるため、階段と拡散板が干渉する部分が出てきてしまい、その分の枚数を減らさなくてはならない。その一方で、拡散板は下から見上げたときにちょうど交互となるよう並べなくてはならない。久家主査らは、コンピューターでシミュレーションし、確認しながら最終的な枚数と配置をチェックした。
「太陽の塔は、コンピューターのシミュレーション技術が普及した今だからこそ、展示物の保存と、十分な耐震改修を両立させることができた」と久家主査は語る。

次回に続く。万博記念公園や万博建築について。

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