Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

「備える家/岡崎」仮住まい先への手摺を設置のための下見

設計した建て替え住宅である「備える家/岡崎」の既設家屋の解体がもうすぐ始まります。
仮住まい先に、バリアフリーのためにトイレや玄関や廊下等に、手摺を設置することになり、工務店と一緒に下見に行ってきました。
一部は移設する手摺もあります。
新居もバリアフリー住宅ですが、バリアフリー設計をすることが多く慣れているので、どこに、どんな種類(縦、横、太さ、形状、色等)の手摺がどれくらいの長さ、設置高さが必要かという提案をその場でして、さっそく工務店に見積依頼をしました。迅速な対応が必要です。
仮住まい先は、玄関とホールとの段差が240と大きく、トイレや洗面室、浴室など段差も多いです。
玄関とホールとの段差解消には、踏み段を提案しました。
トイレは、ミニスロープを付ける案も話しましたが、介助前提で考え、採用しないことになりました。
注意しないと、かえって危険なこともありえます。

安城市の「水のかんきょう学習館」 見学

前回ブログの続きで、明治用水会館を見学した後、隣に建つ水のかんきょう学習館」を見学しました。

ここでは、明治用水のことをより、深く知ることができます。
水土里ネット明治用水のホームページでも調べることができます。

館内に入ると、幕末の明治用水の発案者である、都築弥厚の胸像が出迎えてくれます。

館内はこうした展示パネルや写真での説明が中心です。展示パネルは分かりやすく読みやすいので、最初から全て見ていくと、いいです。
矢作川に住む川魚の水槽(右手側)もあります。濁っていますが、明治用水の水を水槽に入れています。

↓円形の台の上にあるのは、測量に使った道具です。
矢作川に設けた頭首工(用水の取り入れ口)で使われた、長七たたきと呼ばれる人造石もありました。
碧南の服部長七の発明工法です。全国で港などでも採用されました。

明治用水の幹線ごとや支流などボタンを押して点滅させて、流れる位置がどこかをわかりやすくする、展示マップがありました。
この写真は明治用水の幹線のボタンを押した時のものです。真ん中の西井筋の先は、矢作川底をパイプラインで通し、西尾市内で、西城用水と呼ばれ、寺津町の平坂入江(三河湾につながる)まで流れています。

都築弥厚ら、明治川神社(過去ブログ)などに祀られているような、先人の偉大な功績によって、この西三河地域の農業や工業の発展のもととなったことを考えると感謝の気持ちと感慨深い思いでいっぱいになりました。

明治用水のことを調べると、豊田市の枝下(しだれ)用水(水土里ネット豊田のホームページ)や、矢作川用水、東三河での豊川用水、尾張や知多での愛知用水など、長大用水が愛知県には大変多いことが分かります。

次回に続く。

安城市の明治用水会館 見学 その3

前回ブログの続きです。
明治用水会館の中に入りました。

ホールの床タイルに、西三河の巨大な航空写真が印刷されています。

明治用水の恩恵を受けている地域全域です。

豊田市、安城市、岡崎市、西尾市、知立市、刈谷市、高浜市、碧南市の8市ですが、最も恩恵を受けているのは安城市で、日本デンマークと呼ばれ、農畜産業の大発展をとげます。

用水は矢作川が水源で、頭首工(用水の取り入れ口)が豊田市の水源公園付近にあり、矢作川右岸から明治本流が流れ、途中で、東井筋へ別れ、明治本流の先は、中井筋、西井筋に分かれています。井筋とは幹線のことで、そこから、さらに多数の支線に分かれています。

こちらの明治用水マップが分かりやすいです。

東井筋は刈谷市の衣浦湾の最北部付近へ、中井筋は高浜市の衣浦湾の衣浦大橋の少し北へ、西井筋は、矢作川の上を渡り(現在は矢作川底にパイプライン化)、西尾市寺津町の三河湾につながる平坂入江の最北部付近へ流れています。

明治期にできた上記の幹線以降に、矢作川左岸からは本流とは全く別ルートで、岡崎市北部の細川町を通り、矢作川底を通り、北野町を通る、北野幹線もあります。

昔の西三河全域の様子をあらわした、立体模型もありました。

用水だけでなく、かつて存在した鉄道も表現してあり、興味深いです。

西尾駅と岡崎新駅(岡崎駅東)を結んでいた、西尾鉄道(旧名鉄西尾線)昭和37年に廃止。↓

岡崎駅から、井田駅(岡崎市)までの名鉄岡崎市内線昭和37年に廃止
そこから豊田市の上挙母駅を結んでいた、名鉄挙母線。
昭和48年に廃止。↑

碧南駅から吉良吉田駅(西尾市吉良町)までや猿投駅(豊田市)から西中金駅までの名鉄三河線(南のほうは、廃線直前に、子供たちと乗りに行きました)平成16年に廃止

明治用水会館のもとである、明治用水土功会事務所は、先日、行った、知立市の知立神社(過去ブログ)の境内にあります。
松尾芭蕉の句碑の前に建っています。

明治18年築の建物で、「養正館」と名付けられており、愛知県での陸軍大演習の時には明治天皇の休憩所となったところで、その記念碑も立っています。

外側から斜めの鉄骨で倒れないように耐震補強してありました。

次回に続く。次回は隣にたつ、水のかんきょう学習館です。明治用水会館ではここでとりあげたものくらいしか展示がないのですが、学習館には、明治用水のことを深く知ることができます。

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