Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

「回廊の家/岡崎」 ヒノキのフローリング

「回廊の家/岡崎」の現場へ。

ヒノキのフローリングを張っています。
↑渡縁(わたりえん=渡り廊下)のヒノキ床の一部に穴が開いていますが、そこに、床下冷暖房の吹き出し口を今後の工事で設置します。

コストコントロール手法で、部屋によって、フローリングのグレードを変えています。
写真の寝室などは、「小節」というグレードで、小さな節が少しは入ります。
工務店が、きれいな材を入れてくれましたので、これでも十分です。
リビングは「無節」のグレードで、文字通り、節がない材ですが、まだ、これからの工事です。

「大屋根光庭の家/蒲郡」 競争見積

「大屋根光庭の家/蒲郡」のお施主様と打合せをしました。
見積を依頼していた、工務店各社から見積書を受け取っていたので、見積書の内容(数量、単価)をチェックしたり、見積もり落ちがないかなどを調べました。
競争見積の結果を比較表を作って、報告しました。

家康運動会

土曜日に子供たちの通う小学校の運動会に行ってきました。
上の子は来年、中学生なので、2人の子供たちが一緒に出る最後の?運動会です。
岡崎の大樹寺小学校では、徳川家康と結びつけたちょっと変わった運動会です。
校門の前に建つ大樹寺は、松平家、徳川将軍家の菩提寺です。
前半のクライマックスは5,6年生の組立体操ですが、上の子が、家康(当時の名は元康)を救ったエピソードが残る大樹寺の祖洞和尚(そどうおしょう)の役をやりました。
迫力のあるいい演技をしたと思います。

大男で怪力の持ち主で、70人力といわれた祖洞和尚は、総門のかんぬきを持って門外に出て戦い、敵を打ち散らしたといわれます。
<大樹寺門前の戦い>
 徳川家康がまだ元康と呼ばれた19歳の時、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれました。
 その当時元康は今川方でした。 今川義元戦死の報をうけた元康は、大高城からひきあげ、大樹寺に兵を納めました。
 追撃の織田勢は大樹寺を包囲しました。
 大樹寺住職の登誉上人(とよしょうにん)は、元康に「厭離穢土、欣求浄土」(えんりえど、ごんぐじょうど)の経文の言葉を授けて自害を思いとどまらせたといわれます。
 登誉上人ら衆僧は、白布に「厭離穢土、欣求浄土」と書いた旗を掲げて戦いました。

↑昼食後、後半のクライマックスの騎馬戦(帽子取り)は、こんな感じで、お城の回りで行われます。
騎馬には、徳川家の家臣たちの武将が乗るという設定で、武将の名前を書いた旗を持ちます。
うちの子は、馬役でした。

2012.05.31「ファミリー
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