Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

名古屋・中村遊郭の歴史・建築的価値・研究・名古屋工業大学若山滋研究室

以前の名古屋・大須のブログの続きで、名古屋の中村遊郭についてです。
<中村遊郭の歴史>
1858年にできた、大須観音の北の日乃出町の北野新地が、1875年に、西大須へ移転した旭遊郭は、1923年に、中村日赤駅近くに移転し、中村遊郭となりました。
中村遊郭は、全盛期の1937年には、日本最大級の遊郭となりました。
地図を見ると、その独特な町の形に痕跡が残り、 正方形の町割で、四隅の道は斜めにすることで廓の外周を不等辺八角形とし、外部からでは中の様子をのぞくことが出来ないようになっていました。
遊郭は廃止され、現在当地は、風俗街としても知られます。

<中村遊郭の研究>
私は、名古屋工業大学の学生の時に、仙田満研究室に所属していました。
当時の意匠系の二大研究室のひとつであり、もうひとつは若山滋研究室でした。
若山研究室の学生たちが、若山滋教授とともに、中村遊郭の研究をしていました。
当時、INAX出版から、先生が中村遊郭について出版された本があります。
INAX ALBUM 11 遊蕩の空間 中村遊郭の数奇とモダン

大正末当時の建築技術を最大限に発揮して建てられたものが多く、近代の文化財としての視点からも価値があります。
廓内の4件(長寿庵・旧松岡旅館・料亭 稲本・料理旅館 大観荘)が名古屋市都市景観重要建築物に指定されています。
(うち料理旅館 大観荘は2004年に、長寿庵は2014年にそれぞれ解体され指定解除)
  
先生には、設計製図などの授業を教えていただきました。
若山先生はテレビなどメディアによく登場される先生です。
今は、大学を退官されていますが、執筆活動など精力的な活動をされています。

建築家としても多くの作品を設計されました。
卒業後、私は名古屋大須の青島設計に入社しますが、若山研究室と青島設計との共同設計で、いくつかの建物を設計しています。
私の先輩や後輩(大学でも)が設計担当していました。
西尾市岩瀬文庫展示棟
見学時の過去ブログ
「ホワイトアクア/西尾」 着工前の2つの申請&西尾市岩瀬文庫展示棟見学

東邦ガス緑浜工場管理センター
 

大須・名古屋名物のういろう・全国のういろう

名古屋・大須についての以前のブログの続きです。 
大須には、名古屋名物のういろうの店がいくつかあります。

<大須ういろ>
大須で創業した、(株)大須ういろの本店と大須北店があります。店舗紹介
「わーい3時だー!大須ういろの時間だー!」、「大須ういろ と ない~ろ~で~す~」のCMを覚えています。
こちらのサイトでCMが見られます。大須ういろ
「大須ういろ」は、最後に「う」がつかないことに気づきました。
大須ういろの名前の由来 (株)大須ういろのホームページより
ういろは、今から六百余年前、今の中国から日本へ伝来した米粉と砂糖だけで作られたお菓子で、伝えた人が礼部員外郎職という官職にあったことから、その名が付けられました。

<青柳ういろう>
大須には 青柳ういろう大須本店があります。 青柳ういろうは、(株)青柳総本家の商品名です。
「ポポポィのポィ。しろ、くろ、抹茶、上がり(あずき)、コーヒー、ゆず、さくら」のCMを覚えています。
CMギャラリーのページで、かつて流れていたCMが見られます。
「ういろう」の名前の由来 青柳ういろうの「ういろうQ&Aページ」をベースに追記。
およそ600年前の中国が元の時代、礼部員外郎(れいほうえんういろう)という薬の調達をする官職にあった、陳宗敬(自ら陳外郎(ちんういろう)と称した)が、日本に帰化し、せきや痰に効く薬を伝えました。
その子の宗奇は室町幕府三代将軍の足利義満に招かれこの家伝の薬を作り「透頂香(とうちんこう)」あるいは「ういろう」と呼びました。
また、客を接待するためにお菓子の製法も伝えましたが、それが黒色・四角で「透頂香」と似ていたところからお菓子の方も「ういろう」と呼ばれるようになりました。
名古屋の 「青柳ういろう」は日本一の販売量です。
東海道新幹線で車内販売を許可された唯一のういろう会社であり、それがきっかけで、ういろうが、名古屋名物という認識が全国に広まりました。

<餅文総本店>
名古屋には他にも、ういろうをつくっている会社である、餅文総本店 があることを知りました。
万治2年 (1659年) 現在の錦で創業。大須には店舗はないです。本店は南区豊 店舗案内
この会社では、外良(ういろ)という商品名です。大須ういろ と同様に最後に「う」がつかないです。
餅文のあゆみのページで、ういろうの発祥について書かれています。

<全国のういろう>
東海地方では、名古屋名物として、知られますが、全国各所で、ういろうが作られています。小田原、伊勢、京都、神戸、山口、徳島、宮崎。
 ういろう 
wikipedia
ういろうは、「外良」、「ういろ」、「うゐろ」、「ういらう」、「うゐらう」 などの表記が用いられることもあります。
ういろうは、名古屋発祥ではないです。京都と福岡に発祥説があります。
wikipediaには「世間的には名古屋銘菓の代名詞のような扱いをされているが、他にも小田原市・京都市・山口市のものが比較的知名度が高い」とあります。

<小田原ういろう>
小田原の(株)ういろうのホームページの、ういろうの歴史のページが詳しいです。
外郎(ういろう)博物館があります。
ういろうについての史料
商品は「ういらう」の表記です。
 

   

東京・浅草の思い出・浅草寺の門前町・歓楽街としての魅力「猥雑性」

私の母校の恩師で、名古屋工業大学の若山滋名誉教授が、東京の浅草について書いた寄稿文です。
江戸から東京へ続く象徴的名所―裏の視点が魅力、浅草・猥雑街の歴史的権威 Yahoo!ニュース
浅草は大好きな町です。先生が書いているように、単なる観光地ではないです。
浅草寺という「聖」と、浅草六区などの「俗」の猥雑性が隣合わせなのがおもしろい町です。
そういうところは名古屋の大須に似ています。繁華街の中に大須観音や万松寺などがあります。
両方の町は、寺町、門前町、繁華街として、発展してきました。
過去ブログ
名古屋・大須の歴史・大須観音、万松寺など寺町、門前町・歓楽街としての魅力「猥雑性」

浅草はかつては、東京一の歓楽街であり、日本最古のものが多い歴史ある町です。
大提灯のある雷門(正式名称は風雷神門、松下電器(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助の寄進で95年ぶりに再建)をくぐり、仲見世(日本最古の商店街)の参道で、浅草土産を買ったり、雷おこしを買ったり、人形焼を食べたり、浅草寺(家光が再建。東京大空襲焼失前は国宝)にお参りし、頭がよくなりますようにと線香の煙を頭にあび、おみくじをひいて帰ってくるだけでは、本当の浅草に行ったことになりません。

初めて浅草に行ったのは、中学3年生の修学旅行です。
当然、このときはディープな浅草を知りませんので、上記の観光コースをまわってきただけです。
その後、東武浅草駅から、東武東上線(現・東京スカイツリーライン)の「特急けごん号」で日光へ行きました。
日光へは後年になって、同様に、東武線で行ったことがあります。
  
東京の設計事務所(青島設計東京事務所)に勤務していた時に、住んでいた葛飾区柴又から京成本線直通の都営浅草線で通ってたので、毎日、浅草を通過しました。
通勤定期があったし、浅草のマンションを設計したので、浅草によく行きました。
妻や事務所の同僚と、たびたび、飲みに行ったり食べに遊びに行ったりしました。
おいしいものの宝庫です。
浅草今半の高級すきやき、三浦屋のふぐ(食べました)、大黒屋の天丼(食べました)、駒形どぜう
のどじょう(座敷で食べます。歴史ある店構えもいいです)、老舗洋食屋、神谷バー(日本最古のバー、外観内観ともレトロモダンで好きです。1921年築の現在の建物は国の登録有形文化財。有名な電気ブランを飲みました。三河の西尾市一色町出身の実業家の神谷伝兵衛が創業)、船和の芋ようかん(お土産で買って帰ったこともありますし、和風喫茶室でも食べました)

浅草公会堂の前の公会堂通りの歩道「スターの広場」には一流芸能人であるスターの手形があります。
アーケード街にある、マルベル堂で、懐かしいアイドルのブロマイド写真を見るのが楽しいです。
80年代アイドル全盛期の衣装を借りて、自分のブロマイドを撮影してもらえるサービスの
マルベル80’Sがあります。

なんでもありのごった煮的空間のある「浅草六区」という歓楽街は人間味あふれる町です。
明治維新後、浅草寺の広大な寺領は東京府の管轄となり、公園に指定された境内地は行政区画上、1区から7区に分けて整備されました。
江戸期に奥山で興行していた見世物小屋は、旧火除地を埋めて新たに造成された6区へ移転したのが、「六区」の名前の由来です。
映画館が林立し、東京屈指の歓楽街になっていきます。
日本初のエレベーターを備えた凌雲閣(通称「十二階」)という展望塔がありました。

萩本欽一やビートたけしなどを輩出した、寄席の浅草演芸ホールや演芸場(かつてはストリップ劇場)の浅草フランス座(通称:東洋館) 同じ建物内にあります。
浅草ロック座(最古のストリップ劇場)
その隣の成人映画館の浅草シネマ浅草世界館(ともに閉館)
その向かいのJRA場外馬券場のウインズ浅草(馬券買いました)
温泉銭湯の蛇骨湯
現代的な浅草ROX(ファッションメインの商業ビル)
フットサルコートのあるROX・3G
ライブハウス(友達の結婚式二次会で行きました)
屋台村のような町並みの浅草ホッピー通りでは昼間から酒を飲んでる人がたくさんいます。
近くに、子供たちがはしゃぐ花やしき(1853年開園の国内最古の遊園地、家の中につっこむ最古のジェットコースター「ローラーコースター」に乗りました)
  
浅草神社の祭礼である、1312年から始まった歴史のある浅草三社祭が有名です。
三社とは、漁師の桧前浜成・竹成兄弟と、郷土の文化人であった土師中知の3人を祀った三社権現社(浅草神社)が由来です。
兄弟が隅田川の漁で網にかかった人形の像を土師真中知に見せたところ、これぞ聖観世音菩薩の尊像であると、土師中知が出家して僧になり、自宅を寺として、尊像を祀るようになったのが、浅草寺の起源です。浅草寺の縁起

地域の伝統無縁の浅草サンバカーニバルがあるのが、お祭り好きな浅草っ子をあらわしていて、浅草のおもしろいところです。
見に行ったことがあります。
隅田川両岸にある隅田公園は桜の名所100選です。花見に行きました。
テレビで全国中継される、隅田川花火大会にはよく行きました。
浅草から、隅田川を往復する屋形船でお台場まで乗ったことがあります。
船内ではてんぷらなどの料理を楽しめました。いろんなデザインの橋くぐりが楽しくや、お台場の夜景がきれいでした。
浅草から隅田川越しに、東京スカイツリーが見えます。
都営浅草線は東京スカイツリーのある押上駅を通過しているので、毎日通過していた場所に建設されました。
建設中にも子供たちと行ったことがあります。
過去ブログ
東京旅行 その1
 
隅田川の対岸沿いに、高層ビルの墨田区役所アサヒビール本社ビル(ビールジョッキと泡をイメージした外観)、黄金の火の玉のようなオブジェのあるスーパードライホール(フィリップスタルクの設計、飲みに行きました)が建ち並び、東京スカイツリーと一緒に見える景観がいいです。
過去ブログ 東京スカイツリー開業直前の時。浅草寺近くから、五重の塔((3代将軍徳川家光が再建、その後空襲で焼失 京都東寺の五重塔に次ぐ高さ53.32m)と東京スカイツリーが一緒に見える写真があります。
関東建築旅行 その4 東京スカイツリー見学
過去ブログ 開業後に東京スカイツリーの展望台に上った時。
東京横浜建築旅行 1日目 東京スカイツリー

雷門前の交差点角にある浅草文化観光センターは屋上から、東京スカイツリーが見え、雷門や仲見世を上から見下ろすことができました。
建設中の東京オリンピックスタジアムを設計した、隈健吾の設計です。屋根がいくつも重なったような外観がいいです。
浅草の観光情報が入手できます。

繁華街から少し離れた場所にも、おもしろいところがたくさんあります。
浅草の北東のほうには靴屋街があります。
浅草は日本最大の革靴の生産量や産地の規模です。

その近くに吉原遊郭の名残である吉原風俗街があります。台東区千束
浅草のマンションを設計した時に、日本堤消防署予防課に打合せに行ったのですが、その隣が吉原でした。
 
合羽(かっぱ)橋道具街は日本一の道具街で、調理道具ならなんでもあります。
行ったことがあります。秋葉原からつくばへの鉄道つくばエクスプレスの開業により、同線の浅草駅ができたので、行きやすくなりました。
食品サンプルグッズのお店が楽しいです。
東京スカイツリータウン内にも売っていました。

参考サイト
浅草行くなら要チェック!浅草観光で体験しておくべき50のこと
【2018年】初心者でも安心♪浅草観光のポイント&王道観光スポットはココ!
浅草観光で再発見!専門家おすすめ“今こそ行きたい”スポット29選



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