Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

豊川稲荷と砥鹿神社奥宮(三河一宮)に初詣 その2 豊川稲荷の歴史と建築物

前回のブログの続きで、豊川稲荷(妙厳寺)について。
前回は、「豊川稲荷はお寺なのになぜ稲荷で狐なのか」、書きました。

豊川稲荷は、全国の稲荷神社の総本宮である京都の伏見稲荷大社にあった、吒枳尼天(だきにてん)を勧請する愛染寺が、明治維新の廃仏毀釈や神仏分離で、廃寺になったため、代わりに、豊川稲荷が、全国の多数の寺院に、吒枳尼天を勧請する役割を担うようになりました。
それにより、お寺でありながら、全国に有名な、日本三大稲荷になったのです。
豊川稲荷は1441年に創建され、室町時代末期、三河領主の今川義元伽藍を整備した後、江戸元禄時代に現在地に移転しました。
三英傑の信長公、秀吉公、家康公の崇敬を集めました。
全国5つの別があり、北海道・東京都・神奈川県・大阪府・福岡県にあります。
東京赤阪の豊川稲荷は特に有名です。
三河武士(岡崎の西大平藩主)で、名奉行であり大名となった大岡越前守忠相が江戸屋敷内に勧請したのが始まりです。
東京に住んでた頃にも、知っていて、特に芸能人たちに人気があり、すごいなあと思っていました。
全国や世界じゅうから来られた方たちの千本幟。
遠い国内では北海道、海外では、フィリピンなどを見つけました。

↓大本殿に豐川吒枳尼眞天がお祀りされています。
明治時代に至り、有栖川宮家より「豐川閣」の大額が下賜され大本殿内部に掲揚されています。
当山を「豐川閣」と呼ぶのはこの因縁によるものです。

↓山門は、境内最古(1536年)で、戦国大名の今川義元の寄進によるものです。

↓景雲門(1858年)見事な彫刻です。

参拝を終え、駐車場近くに、戦没者供養塔を見つけました。

旧豊川海軍工廠の豊川空襲戦没者を供養しています。
自衛隊豊川駐屯地付近の広大な工場群は、かつて、日本有数の海軍兵器の一大生産拠点でしたが、終戦間近の8月7日に空襲を受け、2500名もの方々が亡くなりました。
冥福を祈りました。

この後、豊川市旧一宮町の砥鹿神社へ。
次回に続く。

豊川稲荷と砥鹿神社奥宮(三河一宮)に初詣 その1 豊川稲荷はお寺なのになぜ稲荷で狐?

日本三大稲荷である豊川市の豊川稲荷に初詣に行ってきました。

度も参拝していますが、離れた場所にある霊狐塚のことを今まで知らなかったので、初めてでした。

たくさんの狐像は神秘的で、圧巻でした。

豊川稲荷は、神社ではなく、 妙厳寺というお寺であることは知っていましたが、どうして、お寺なのに、神社のイメージのある稲荷を名乗り、狐なのか疑問に思っていました。
単なる神仏習合なのかと思っていましたが、違うことがわかり、調べるといろんなことがわかって、おもしろく、知ってて行くのと知らずに行くのでは大きな違いがあります。
神道の稲荷神は稲荷大明神、お稲荷様、お稲荷さんともいい、本来は穀物・農業の神ですが、現在は商工業の神としても信仰されています。
狐は稲荷神の神使であって稲荷神そのものではないですが、民間では同一視されています。
豊川稲荷の「稲荷」とは、稲荷神ではなく、境内の鎮守で、信仰対象として祀られる仏教の吒枳尼天(だきにてん)のことです。
豊川稲荷では、豊川吒枳尼真天と呼んでおり、その姿は、白狐の背に乗り、稲束をかついで宝珠を持ち、岩の上を飛ぶ天女の形です。
吒枳尼天は白狐から連想して、神道の稲荷神と同一視されるようになりました。
神仏習合の時代には寺院内に鳥居が建てられることが全国で広まりました。
しかし、明治に入り、廃仏毀釈で多くの寺院が破却され、また、神仏分離で、鳥居が破却されましたが、破却を免れ、鳥居が現存する寺院もあり、豊川稲荷はそのうちのひとつです。
昨秋、参拝した、三河国二之宮である知立神社は、逆に、神社に、寺院の多宝塔が残っている珍しい神社です。過去ブログ

次回に続く
豊川稲荷と砥鹿神社奥宮(三河一宮)に初詣 その2 豊川稲荷の歴史と建築物

 

 

 

仕事始め

1月5日より仕事始めとなりました。
いい年にしたいなと思います。
本年もよろしくお願いします。

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