Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい
岡崎と大友皇子2 大友天神社(西大友町)
前回ブログの続きです。
前回は「岡崎と大友皇子1 玉泉寺(西大友町) 皇子が開基 天皇家の菊紋付の永代供養塔・納骨堂」
前回ブログに書いた、玉泉寺(皇子が創建)の近くに大友天神社 があります。
大友天神社 岡崎市西大友町字天神10
御祭神は弘文天皇(大友皇子)です。由緒碑に記載されています。
以下、碑文
「住古 天智天皇の長子 大友皇子は壬申の乱に会い従者長谷部信次等と此の地に流偶し 草庵を結ぶ
皇子は「天性明悟にして雅より博古を愛ます」と懐風藻にあり
後に信次皇子の為に一祠を創建奉崇し 之を天神宮と称し その所在地を大友と云い 村落を長瀬村と呼ぶ
明治九年 供進指定村社」
皇子が、この地で亡くなった後、従者の長谷部信次が、皇子の霊を祭祀するために、創建したのが、この神社とされています。
愛知県神社名鑑では、以下と記載されています。
「近江国志賀の住人、長谷権之守の次男・長谷本之允信次、白鳳年中(672~86)に故あって碧海群に潜居する。信次は大友皇子のために一つ社を創建し「天神宮」という。その社地の近隣を大友と称し、信次の居住の村落を長谷村という。現在は誤伝して長瀬と書く。信次は滋賀粟津の戦場で大海人皇子(後・天武天皇)に敗れ、大友皇子を奉してこの地に流寓する。よって村名を大友と称した。」
「天神宮」が、大友天神社と改称しました。
長谷部信次が住んだ、「長瀬」の名は、近くの森越町に、長瀬八幡宮の名として残ります。
参詣したことがあります。
源頼義が創建、北条氏、足利尊氏が社殿復興、松平親忠が改造、徳川家康ゆかりのすごい神社なのですが、ここでは、とりあげず、いずれブログ記事にします。
次回に続く。「岡崎と大友皇子3 神明社・大友皇子丸藪之館跡碑(東大友町)」