Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

岡崎と大友皇子4 大友皇子御陵遺跡(東大友町)

前回ブログの続きです。前回は「岡崎と大友皇子3 神明社・大友皇子丸藪之館跡碑(東大友町)」
神明社の近くに、大友皇子御陵遺跡があります。東大友町堀所29−1

「大友皇子御陵」の碑

皇子の詠んだ漢詩 2首

次回に続く。「岡崎と大友皇子5 小針1号古墳(皇子の御陵)(小針町)」

 

岡崎と大友皇子3 神明社・大友皇子丸藪之館跡碑(東大友町)

前回ブログの続きです。前回は「岡崎と大友皇子2 大友天神社(西大友町)」
大友天神社(岡崎市西大友町)の近くの東大友町に、大友皇子が創建した、神明社があります。
神明社 東大友町字堀所36

祭神に、大友皇子があります。
皇子が亡くなった後、皇子を祀るために創建された大友神社を、明治41年に合祀しました。


拝殿

本殿

皇子が住んだ、丸藪之館があったことを示す、大友皇子丸藪之館跡碑が境内にあります。 

次回に続く。「岡崎と大友皇子4 大友皇子御陵遺跡(東大友町)」

岡崎と大友皇子2 大友天神社(西大友町)

前回ブログの続きです。
前回は「岡崎と大友皇子1 玉泉寺(西大友町) 皇子が開基 天皇家の菊紋付の永代供養塔・納骨堂」
 前回ブログに書いた、玉泉寺(皇子が創建)の近くに大友天神社 があります。
大友天神社 岡崎市西大友町字天神10

御祭神は弘文天皇(大友皇子)です。由緒碑に記載されています。
以下、碑文
「住古 天智天皇の長子 大友皇子は壬申の乱に会い従者長谷部信次等と此の地に流偶し 草庵を結ぶ
皇子は「天性明悟にして雅より博古を愛ます」と懐風藻にあり
後に信次皇子の為に一祠を創建奉崇し 之を天神宮と称し その所在地を大友と云い 村落を長瀬村と呼ぶ 
明治九年 供進指定村社」

皇子が、この地で亡くなった後、従者の長谷部信次が、皇子の霊を祭祀するために、創建したのが、この神社とされています。
愛知県神社名鑑では、以下と記載されています。
「近江国志賀の住人、長谷権之守の次男・長谷本之允信次、白鳳年中(672~86)に故あって碧海群に潜居する。信次は大友皇子のために一つ社を創建し「天神宮」という。その社地の近隣を大友と称し、信次の居住の村落を長谷村という。現在は誤伝して長瀬と書く。信次は滋賀粟津の戦場で大海人皇子(後・天武天皇)に敗れ、大友皇子を奉してこの地に流寓する。よって村名を大友と称した。」
「天神宮」が、大友天神社と改称しました。
 

長谷部信次が住んだ、「長瀬」の名は、近くの森越町に、長瀬八幡宮の名として残ります。
参詣したことがあります。
源頼義が創建、北条氏、足利尊氏が社殿復興、松平親忠が改造、徳川家康ゆかりのすごい神社なのですが、ここでは、とりあげず、いずれブログ記事にします。
次回に続く。「岡崎と大友皇子3 神明社・大友皇子丸藪之館跡碑(東大友町)」

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