Blog / KANO空感設計 あすまい空感日記・・・明日の私(MY)の住まい

岡崎と聖徳太子4 満性寺太子堂 聖徳太子二歳姿の南無仏像と太子直筆の阿弥陀経、三河一向一揆で徳川家康に味方

前回ブログの続きです。
前回は「岡崎と聖徳太子3 妙源寺柳堂 聖徳太子を祀る太子堂 徳川家康が三河一向一揆で助けられ寺名変更」
聖徳太子を祀った、太子堂のある寺が他にも岡崎にあります。
菅生町の満性寺です。乙川の北河畔、岡崎信用金庫本店の隣にあります。
親鸞聖人の孫弟子の了専の創建で、足利尊氏の開運祈願や松平氏などの帰依を受けて発展しました。
徳川家康公(当時は松平元康)は、太子堂へ開運勝利の祈願をしています。
三河一向一揆で家康公に味方をしました。
 

聖徳太子の二歳の姿である、木造南無仏太子像や「絹本著色太子講讃孝養の図」が、県の文化財です。
太子直筆の阿弥陀経があります。
木造南無仏太子像を、岡崎美術博物館で2015年に開催された、「法隆寺展 -聖徳太子と平和への祈り-」で、見ました。
https://www.city.okazaki.lg.jp/museum/exhibition/pastexhibition/2014/p017851.html
木造南無仏太子像
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/choukoku/kensitei/0348.html
安城市歴史博物館で2016年に開催された、「聖徳太子絵伝模写完成記念特別展 まねる うつす つたえる」でも、見ました。

「絹本著色太子講讃孝養の図」は、聖徳太子の生涯からいくつかの場面を選んで描いた略絵伝です。
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kaiga/kensitei/0206.html

満性寺
https://okazaki-kanko.jp/point/504
次回に続く。「岡崎と聖徳太子5 浄珠院太子堂 聖徳太子直作の聖徳太子像 徳川家康が三河一向一揆勢と和睦」

岡崎と聖徳太子3 妙源寺柳堂 聖徳太子を祀る太子堂 聖徳太子十六歳姿の木造孝養太子立像 徳川家康が三河一向一揆勢から助けられ寺名変更

前回ブログの続きです。前回は、「岡崎と聖徳太子2 上宮寺 聖徳太子が建立 聖徳太子直作の聖徳太子像 徳川家康と戦った三河一向一揆の拠点 三河三ヶ寺」
聖徳太子を祀った、妙源寺柳堂が、上宮寺の近くにあります。岡崎市大和町字沓市場65
柳堂は、国の重要文化財となっています。
聖徳太子十六歳の姿 木造孝養太子立像は市の文化財です。
妙源寺は、安藤信平が河内国安部野から、岡崎の桑子城主として来たとき、聖徳太子自作の太子立像を安置するため、聖徳太子を祀る太子堂を建立したことにはじまると伝えられます。
親鸞が関東より帰郷する途中、太子堂に17日も滞在し、説法しています。
現在は太子堂を柳堂と称します。堂の前に柳の木があることが由来です。
徳川家康が三河一向一揆の際、見方になってくれ、本寺に身を寄せ難を逃れたことを感謝し、源氏の「源」の漢字を与え、明眼寺(みょうげんじ)から、寺名を変えました。
家康公の先祖の松平氏の始祖である、松平親氏は、清和源氏系河内源氏義国流得川氏(徳川氏、世良田氏)の末裔です。

木造孝養太子立像

妙源寺柳堂(みょうげんじやなぎどう)
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunisitei/0005.html

妙源寺 (岡崎市) wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E6%BA%90%E5%AF%BA_(%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%B8%82)

妙源寺
https://www.city.okazaki.lg.jp/1550/1575/1662/p021485.html
https://okazaki-kanko.jp/point/490

妙源寺(チャンネルおかざき「街ぶらり~岡崎発見隊~」 平成28年3月11日~20日放送)
https://www.city.okazaki.lg.jp/910/1765/p020127.html

次回に続く。「岡崎と聖徳太子4 満性寺太子堂 聖徳太子二歳姿の南無仏像と太子直筆の阿弥陀経、三河一向一揆で徳川家康に味方」

 

岡崎と聖徳太子2 上宮寺 聖徳太子が建立 聖徳太子直作の聖徳太子像 徳川家康と戦った三河一向一揆の拠点 三河三ヶ寺

前回ブログの続きです。前回は「岡崎と聖徳太子1 真福寺 聖徳太子が建立、物部真福が施主 三河現存最古の寺」
岡崎には、真福寺 の他にも、聖徳太子が建立した寺があります。
上佐々木町の上宮寺(じょうぐうじ)です。
聖徳太子は上宮皇子(じょうぐうおうじ)の別名があります。
聖徳太子がこの地で自身の像(御木像)をつくり、ここに寺を建てるように伝えたことが創建由来です。
山号は太子山です。
参詣した時のブログです。
岡崎石工団地隣の上宮寺に参詣 聖徳太子創建・三河一向一揆の三河三ヶ寺・浄土真宗の中本山・現代建築デザイン
聖徳太子に対する種々な信仰を、太子信仰といいます。
太子信仰は、法隆寺や四天王寺(大阪)など聖徳太子が創建した南都寺院周辺で始まり、浄土真宗とともに、特に西三河と北陸に広まりました。
徳川家康公と戦った、三河一向一揆の拠点となった、三河三ヶ寺のひとつでもあります。
本堂等が焼失し、1996年に現代建築デザインで設計され、建て替えられました。
本堂はインドの精舎形式をイメージしたデザインとなっており、かなり大きいです。壁はコンクリート打ち放しです。

上宮寺 公式HP
http://jyoguji.com/
次回に続く。「岡崎と聖徳太子3 妙源寺柳堂 聖徳太子を祀る太子堂 聖徳太子十六歳姿の木造孝養太子立像 三河一向一揆で徳川家康が助けられ寺名変更」

 

 

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